うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

こがらし

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 ~前回までのあらすじ~

 洋食屋の店主であるこうもり男は、ランチの材料であるたまねぎを調達すべく、街へ繰り出す。
 ひょんなことからサバが食べたくなり、駆け込んだ定食屋で昔の仇敵に遭遇。
 勝負を挑むもあっさり断られ、行き場をなくした怒りの矛先やいかに。


 
 
 「ひ、卑怯だぞ!」
 叫びは途中から、はい、サバの味噌煮定食お待ち~、という、 
 パートのおばちゃんの声にかき消されてしまった。
 
 大事なところだったのに…。憮然とするも、鼻をくすぐる甘辛の香りに反応して胃が正直に活動し
 はじめる。
 観念して箸をつけた途端、定食屋とは思えないクオリティに、こうもり男は言葉を失った。
 
 生臭さは完全に消しつつも魚のうまみを存分に残したこの煮方…すばらしい!

 「貴婦人のような」とかいうフレーズを使って褒め称える暇もなく、
 美味しさのあまり早食いしてしまったこうもり男は、 
 割り箸に附属していた楊枝ですっかりシーハーし、
 満足して店を出た。
 
 
 すると、猪野川が立っていたのでびっくりした。
 
 美味しいものでおなかいっぱい、幸せ気分に浸っていたこうもり男は
 嫌いだったこともどうでもよくなり、というより忘れてしまっていて、
 
 「よ、まだいたのかい。」なんて気軽に声をかける。
 
 猪野川は足下の小石なんてけりながら彼ににじり寄ってくると、
 うじうじ悩んだあげく思い切ったように口を開いた。
 
 「それより、子どもの名前はなんていうんだい。その…彼女のさ。」
 
 顔にはめずらしく赤みがさしており、それが地の色の青と混ざって紫に…
 なってはいなかったが、若々しさと人間らしさを加えている。そういえばこうもり男より三つか
 四つくらい若いのだ。
 「なんだい気になるのかい。とうに捨てた女の筈だろうがい。」
 せりふと共に笑ったのはサバの余韻に浸ったのであって決して嘲笑ではないのに、
 相手は恥ずかしがった。
 長身の猪野川がうつむくと、かえって哀愁をそそる。
 
 木枯らしがびゅっと吹き付けて、うす黄色く枯れた葉が舞って、彼の黒い外套にガサガサと当たった。
 


 (つづく)