うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

窓の外

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 ※あらすじ


 こうもり男という種族がいる。夕暮れ以降になると自在にこうもりに変身できるが、
 人間の姿をしている。彼らは一定の年齢に至るまでに、蝙蝠としていきるか、人として生きるか
 決めねばならない。決めた後は、もう変身は不可能である。
 
 その年齢にさしかかった、ある一人のこうもり男は、
 拾った猫の世話のため、人間として生きようかと思う。しかし、アクシデントによって蝙蝠
 として生きざるをえなくなる。猫(みー太郎)の世話はどうしようか…


 でもまあ、仕方ないか。こうもりになっちゃったんだし。 

 そう思ったところで、こうもり男は、ぞくっとした。
 
 もう既に、忘れること、が始まっている。人間の時の感覚を。
 
 みー太郎に強く感じていた愛着や責任感が、明らかに薄くなっている。
 
 すべてを忘れるまで、そう長くはかからないだろう。
 そうして身軽になってしまわなければ、空中では生活できない。
 
 
 時間がない。
 みー太郎のことを完全に忘れてしまう前に、
 この愛らしい生き物のことが全くどうでもよくなってしまう前に、 
 
 保護者となる人間を探さなければ。
 
 
 蝙蝠は、
 なんとかかんとかして
 麻の布で袋を作り、みー太郎を入れて口に加えた。
 
 あたり前だが、重い。人間の時は、ひょい、と片手で抱き上げられたのに。
 
 
 運ぶのがつらい。このまま、空から落としてしまおうか。
 
 そんな考えと、
 そんな考えが湧いてくる自己への戦慄とが交互に去来して、
 
 心と体は限界に達しかけている。 
 

 そこへ、
 オレンジ色の光が灯った、レンガ造りの建物が目に入った。
 大きくはないが、暖かそうだ。あたたかい人間が住んでいるに違いない。
 
 
 慎重に高度を下げて、窓から忍びこむ。
 
 誰もいない。
 大きな冷蔵庫とコンロ。磨かれた鍋がいくつも下がっている。厨房のようだ。
 
 隣の部屋から物音がする。
 かぎ穴から覗くと、男の後ろ姿が見えた。
 まだ若そうだ。しばらく見ているうちに、驚くべきことに気がついた。
 
 彼もまた、こうもり男なのだ。
 
 
 蝙蝠は迷った。この男がもし人間としての生を捨てたなら、みー太郎はまた宿なしだ。
 
 
 が、しかし猫いっぴきの重量を支えるのに薄すぎる翅はもうぼろぼろ。
 
 疲労を携えたまま、次の候補を探す根気も、続きそうになかった。早く、どこかぶら下がれる
 しずかで湿った暗い場所で、逆さになって眠りたかった。
 
 
 蝙蝠は最後の力と、最後の、みー太郎への思いをふり絞って、蛇口を少しひねった。
 いつでも水を飲めるように。
 
 そうして、冷蔵庫を開けた。
 たまねぎがたくさん入っている。
 まあ、猫の餌にたまねぎを選ぶ輩もいないであろうが、用心に越したことはない。 
 
 猫がたまねぎを食べるのは、命取りなのである。
 「ねこのきもち」に毎月のように出てくる「猫に食べさせてはいけないもの」ワースト1が、
 ねぎ類だ。
 
 ざっと見まわしたが、他は、とりあえず大丈夫…なように、思えた。

 蝙蝠はたまねぎの入った網の袋をすべて、窓から投げ捨てた。
 
 「眠り姫」という童話で、糸車の呪いを受けた姫を守るために、世界中の糸車を焼いてしまった王
 のように。


 体力を使い果たした一羽の蝙蝠の姿が夕闇に消えるのと、
 男が厨房に入ってくるのとが同時だった。
 みー太郎は素早く、床にあった紙袋の中に身を潜めた。
 
 男は何かを作ろうとしている。
 まな板と包丁を用意し、冷蔵庫を開けた。
 何かを探すように、すべての扉を開けた後、食器棚や樽の中を、くまなく調べ始めた。
 
 そうして首をかしげた。
 
 「あれ、おかしいなあ。たまねぎが、一つもないぞ。
 よく使うので、きらしたことはなかった筈なのに…
 ランチの仕込みに必要だから、すぐ買いに行かなくっちゃあ。」




 


  (完)