目の前の少女が必死でまぶたの裏から黒眼を探しているのを漠然と眺めながら、人魚はもうずっと前のこと、生きてきた中でいちばん大好きだったアーティストのライブに行った日のことを、なぜか思い出していた。
ものすごく忙しい時期だった。そのうえ私は計画をたてるのが下手で、するべきことの優先順位をつけかねて頭がパニックを起こし、心身の疲れは限界をきわめていた。
やっとひと段落ついたものの、この疲れ具合では立って歌を聴いている自信すらない。
けれど、彼らがステージ上に姿を現した瞬間、豆粒ほどのサイズだったけれど、興奮と感動で元気百倍、いつの間にやらスタンディングオベーションでノリノリしながら飛び跳ねまくっていたっけ。
おお、この歌歌うのか・・・!
予想外の選曲ではあったが好きなものばかりで、あっというまに終末がやってきて、アンコールで流れるラブソングの伴奏が聞こえてきたとき、その夜を一貫して流れていたメッセージが何であるのかを自分なりに解釈した。
アイラブユー、と繰り返される歌詞を頭に焼き付けようと神経を研ぎ澄ました。
こんなにも確かな方法で何度も愛を伝えることができたら、いつどうなっても悔いはないだろうな。
蝉は生まれてからずっと求愛し続るわけだから、たった七日で死んだって本望なのだ、きっと。
でもあれは種の保存という本能に動かされているだけなのかしら。
何はともあれ、私はここ数日間、いやもっと長い期間、忙しさを言い訳になんと八つ当たりを繰り返してきたことか。それも、本当は一番優しく接するべきはずの人に対してだ。
不機嫌がったり笑わなかったりした直後に急に悲しくなって、遠ざかる足音をききながら、もし・万が一何かが起こって二度と会えなくなったとしたら一生後悔するだろうなというおそれが頭をよぎったりもした。
もううっすらとなってしまったその人の顔をせつなく頭に描いたとき、「ふう、やっと戻った!」という大声に回想は中断された。
どうやら少女の目はちゃんと正常になったらしい。
(つづく)