そう、あれはまだ幼い時分。
暗闇に住む異形の者を信じ、家のあらゆる処、たとへば押入れの中や箪笥の隙間などに、どこか怪しい世界への入り口をいとも容易く見つけてしまひそうになる危うい時期のことでござひました。
その小さな足が踏み出す先に世にも恐ろしい出来事がまちうけていやうとは、夢にも思っていない私は、兄弟とトランプ遊びに興じようと、子ども部屋へカードを取りに向かっていたのです。
そこへ、どさっというかぼとりというか、兎に角何かが落下した音、それも硬質のものでなく、ある種の柔らかさを持つものであることが予測される響きが耳に届いたのです。
部屋にはだれもいるはずはありません。そういった時の物音は子ども心に大きな不安をもたらすとともに、その目で正体を確かめずにはいられない衝動を引き起こすものであります。
例にもれず、へっぴり腰になりつつも私は、首を前に腰を低くかがめた無防備だともいえる体勢で、音のした場所、壁に寄せて置いてあつた電子ピアノの裏側をひょいとのぞいたのでした。
ああ、そこから先は、思い出すだけでも全身の毛が逆立つやうです。
当時、木造建築であつた自宅では夜な夜なの騒音に悩まされておりました。
ドタドタ、頭上をにぎやかに駆け回る音。小さひのもいれば大きひのもいて、自分たちの寝ている部屋の天井一枚隔てた裏側で、食うか食われるかの死闘が繰り広げているさまがありありとわかる物音。
ある日見かねた母親が買ってきたのは、騒音の正体であるところのネズミたちを始末する紅い粒状の薬でした。
人間でも飲むと死ぬという劇薬で、間違って飲むことなどないにしろ、そのような危険なものが手の届くところにある、というだけでいいしれない不気味さを覚えたものでした。
どさっという音をさせた犯人は、そいつをまんまと飲み込み、屋根裏と部屋をつなぐごく小さな穴から落ちたのでしょう。
ピアノの裏側の暗い隙間に、ちゅうちゅうとかすかに悲痛な鳴き声を上げて、汚れた灰色の毛で全身を覆われたネズミが、ひん死の体をひくひくうごめかせていたのでありました。
とまあ、最近はまっている江戸川乱歩の文体を意識しつつ小学生の思いでを語ってみたのですがいかがだったでしょう。
いくらなんでもこんなに回りくどくはないですね。
自分でも長くなってびっくりです。
兎に角、本を読まない海坊主の姉などは、「読むのがめんどくさい」などと言って敬遠しちゃうような遠まわしな言い回しをしている部分が確かにあります。
画像にアップした単行本は昔のものなので、旧字体や旧い読み方(「でしょう」←「でしゃう」)なども頻繁に出てきます。
最初はとっつきづらかったのですが読むうちに慣れて夢中になる感覚は、螺旋階段と似ています。
ぐるぐる、と回るうちに目もちょっと回ってきて何段降りたかわからない。気がつけばさっきまで聞こえていたはずの上の階の物音が遠くなり、その分自分の足音だけがこつんこつんと異様に響くような闇。
ふと気がつけばすぐには戻れないくらい下に降りてきてしまっていて、けれども頭の中は渦巻きの引力によって陶酔をも覚えている。
江戸川乱歩の小説を読むときの感覚は螺旋階段を下りるのに似ている。
このたとえうまいなあ・・・と自分で勝手に感心したことを伝えたかっただけなのにこんなにまどろっこしく長くなっていました。反省。
はてさて画像の単行本ですが、横尾忠則さんのカラー挿絵が入っています。
細かい文字を懸命に追いながら奇妙な世界へと入り込んでゆくと不意に強烈で極彩色の絵柄が登場するのでおったまげます。