うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

本の虫

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 「すっごいよじいちゃん、よくこんなもの作ったね!」
 僕は目を丸くして驚いて見せた。
 「そうだろそうだろ、この研究にわしの青春の半分をささげたといても過言ではないからな。」
 手の中の発明品をいとおしげに撫でながら、恥ずかしげもなく青春という単語を口にする祖父の年齢は77歳。
 高校に入って良い感じにひねくれてきた孫の手前、露骨な喜びを表すのを避けて口をへの字に曲げているが、見事に半月型に緩んだ瞳がすべてを無駄にしている。
 「俺、まだ信じられないよ。夢じゃないのかな?」と、頬をつねる仕草で拍車をかけると、彼の顔はスライムのようにいよいよ面白くなった。
 
 実際、小さな古本屋を営む老人が作り上げたとは思えぬほど、いやむしろ人類の歴史を科学的に倫理的に覆してしまうぐらい、画期的な発明だった。
 それは、一冊の本だ。
 暗い赤紫の布製の表紙、サイズは市販のハードカバーより少し大きいくらいで、見た目は普通の書物となんら変わりのない。
 

 品物の説明にうつる前に、どういった経緯でできたかを語るにあたって僕らをとりまく家庭環境を簡単に話そう。
 
 物心ついたときから、僕の傍にいるのは祖父だった。
 橋の下で拾われたわけでもなく、両親は健在であったが、探検家であった。
 そのうえ重度の職業病に侵されていて、じっとしていると足からにょろにょろひげ根が生えてくると信じているかの如く、すぐにどこかへ行ってしまう。
 一子をもうけた後も例にもれず、手のかからぬ年齢(彼らにとっては保育園入園の瞬間)になった途端、
「ちょっと中東にいってくるわ。」
 と、近所のコンビニにでも行くような感じで、砂漠に埋まる神秘を突き詰めるべく旅立ってしまった。
 おかげで顔すらろくに知らず、初めて見せられた絵ハガキがエジプトから投函されたものであったため、母親はスフィンクスだと本気で信じていた程だ。

 
 非常識といえる二人の行いをなんら咎めることも気にする風もなく、祖父は僕を育てながら、自分なりに勝手気ままな奇人っぷりを発揮してきた。
 この親にしてこの子あり。タスマニアンデビルの子はタスマニアンデビル。
 古書店と名のつくものの陳列はマニアックを極めていて、商売っ気がまったく感じられない。
 営業時間もばらばらで、時には何週間も店を閉めて「研究室」に籠もることもある。
 町内でも名高い変人と二人暮らしの僕は、たとえるなら美女と野獣のベル。
 皆の噂になるぐらいの美貌が備わっていないのが惜しいところだ。

 兎に角そんなこんなで、「あまり辛くない醤油」だの、「縦書きでしばらく書いても手の腹が黒くならない鉛筆」だのといった、ぱっとしない発明を続けてきた祖父であったが、今回やっと長年の成果が現れたのである。

 祖父のおよめさん、つまりおばあちゃんのことは何も聞かされていないのだが、おそらく若いころに愛想を尽かさたのだろうと思われる。
 子どもがそのまま大きくなったような好奇心を湛えた瞳はかすむこともなく、まるでいつからか体も成長することをやめてしまったように、彼は若々しい。
 少し歯抜けで毛も薄く・・・なんていうことはなく、どちらも綺麗に揃ってふさふさだ。
 小さいころから友人を家に呼んでは、お父さんかと思った!と驚かれることが密かに誇りであった。


 (つづく)