うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

赤ずきん

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 ~前回までのあらすじ~

 変人発明家の祖父が作ったのは一冊の本だった。
 はたしてその本の正体やいかに!?

 
 最愛のひとに逃げられてからか、もっとずっと以前からか、彼は書物を読み漁った。
 ロシア文学にフランス恋愛もの、中原中也宮沢賢治、ポーの怪奇ものにとどまらず、精神分析入門などの心理学。
 専門語が頻出する経済学や法学の書に、酒の歴史。格闘家の自伝。
 この間部屋をのぞくと、かわいらしい装丁のかかったライトノベルが置いてあった。
 
 気の遠くなるくらい膨大な読書量によって知識と教養を吸収したのだが、それ以上に、読むほどに豊かになる感受性はとどまるところを知らない。 
 物語の中で起こる出来事に、文字どおり一喜一憂した。
 文字をひとつひとつ追いながら頭に浮かぶイメージに身をゆだねていると、まるで架空のことだとは信じられない。
 うつつとの見分けにくさは、起きる直前に見る夢と似ていた。

 どっぷり感情移入をして主役になりきることもあれば、文字の隙間になまめかしい足をひっかけて這い出してきそうなくらいに生々しく魅力的に描かれた女性像に、恋焦がれることもある。
 
 それだけでなく、背が低くて中年太りのわき役も彼は愛したし、最初から最後までいや~なことしかしない、ウジ虫のような悪人役の幸福をも願った。
 それだけ読書を重ねると、行間から時に強引といった方法で、良心的な部分・孤独な哀しい部分をくみ取ってしまうのだ。

 けれどどんなハッピーエンドでも、登場人物が全員幸せになって終わるお話は皆無。
 限りなく身近に感じてきた主要な人物が不慮の最期を遂げるものも少なくない。
 
 ある冬の夜、毛布にくるまりながら目に悪そうな姿勢で、行吉という少年の話を読んでいた。
 夢中になっていたその時ふいに、とても軽い、と思った。本が、手の中の紙の塊がとても、行吉の背負う運命の重さに比べて、あまりにも軽い。
 
 文庫本の中でしんしんと降る雪のように重さのないそれは、ひやりと、温度を持っていなかった。
 
 左の四本の指が触れている裏表紙から何ミリも隔てていない場所に、すべての結末が用意されている。
 インクによって刻まれているだけでなく、作った者の記憶の中にも、読んできた多くの人の頭の中にも、確かなものとして変えようがないのだ。

 
  どうしても行きたい遠足の前にてるてる坊主を作って寝るまでずっとお祈りすれば、もしかすると科学では解明できない不思議なエネルギーによって晴れる、ということがあるかもしれない。
 けれども本は、読んでいる自分がどんなにか「そうならないように」「こうであってほしい」と強く思ったところで、全ては儚い一冊の中で完結している。
 夢中のせいで感じていなかった寒さが全身を包み、なんともいわれぬ無力感が襲って、読むのをやめようかとさえ思った。

 くっそー、こんなもん、くそくらえだぜ!
 と、八百屋を継ぐのを嫌がるバンドマンのどら息子が大根を土間に叩きつけるみたいにして、本を壁に投げつけた。
 バシッ!と音をたててぶち当たったまま床に落ちたのを見届けて余計に虚しくさせる、間もあたえずに、なんとはねっ返ってきたではないですか。本がですよ!

 突然のことで、ブーメランのように加速した凶器をよけるすべもなく直撃。彼の頭はクラッシュ状態。 けれどもその時受けた天啓は、脳派の異常なんかでは決してなかった。
 「すべてが決まっているのが嫌ならば、そうではない本をつくれ。」とな。
 
 


 「と、そういった深い事情の末。わしゃこの研究を必ずや成功することを誓ったんじゃよ。しおりさんに。」
 以上が、祖父の発心のあらましだ。
 この話を何度きかされてきただろうか。弁士のように何も見ないで、アドリブ付きで語ることもできるぜ。
 しおりさん、とは頭に当たった本からはらりと落ちてきたブックマークのこと。
 オーソドックスな長方形の紙に、竹久夢二風のなよなよした女の人がプリントされていることから、彼は第二の女神(マドンナ)として崇め、定期入れに入れていた。

 


 (つづく)