うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

恋のイスタンブール

 
 旅行冊子にインスパイアーされて異国の風景を描いた僕は
 さらにそれに刺激を受けてむらむらと異国へ旅立ちたくなってしまった。
 
 貯金もほとんどなかったのだけど、古本からゲームソフトから祖父秘蔵のウイスキーまで売れるものは全部売り払い、モトカノに貸したままだった3000円もダメ押しで取り立て、
 なんとかかんとか航空機のチケットを買うことができた。
 行き先はバンコクだ。季節は夏。きつい日差しと、パクチーの匂いを孕む湿気に包まれた濃厚な空気を想像するだけで、胸がうちふるえる。
 
 旅好きの友人に頼み込んでかりてきた巨大なバックパックに、最低限の着替えと、もろもろの要るものをつめても、中身はすきすきだった。なにせ彼がヨーロッパ一周の時に使ったものなのである。
 
 それにしても巨大だな・・・。まじまじと見つめる。
 出発を翌朝に控えているのに、旅というものはいくつになってもわくわくするもので、眠れぬ僕のテンションはだんだん夜中のアゲアゲモードになってきた。
 
 むかしエスパーいとう、という芸人がブレイクしたが、もっと小さなスポーツバッグに体ごとはいっていたっけ。
 なんかしらんけどちょっと笑ってまう芸風を思い返しつつ、20を超えてもいっこうに体がごつくならない自分の体を見ていると、どうにも鞄の中に入りたくてたまらなくなってしまった。
 
 じじじ、とジッパーを開けて、苦心を重ねること10分。
 入れた。いろいろ曲げたりしているうちに環節が柔軟になったらしくかなりありえない体勢だが、ふしぎと苦しくない。内側からジッパーを閉める。
 
 なによりもかりよりも、非常に狭い濃いブルーの空間に密閉され、強いビニールの香りを嗅ぐのは不思議な興奮をもたらした。
 自分の息遣いや鼓動、ほんのわずかな挙動が、耳に直接響く。
 「荷物」という同じ立場に立ってしまうと、さっきつめたTシャツやら水筒やらと対話できそうに思えてくる。
 
 
 
 うわあー、これじゃまるで変態みたいだ。あと五分したら、いや十分したら出よう!
 とにやにやしながら決意を固めていると、ひょい、と宙に浮く感覚がした。
 エレベータが上昇するときとよく似ている。
 
 僕は瞬時に理解した。
 誰かがバックパックを持ち出そうとしている!!!
 
 はいってますよー、おうい。
 叫ぶもなぜか不思議に声にならぬ上、金縛りのように体が動かない。
 動かした主はどうやらリュックを背負ったようだ。のしのし、と着実に思わぬ方向へ僕を運んでゆく。
 
 酸欠と驚きで混乱しているはずなのに、非常に冷静に僕はある事実を理解していた。
 この歩き方。この背中の感じ。
 これはきっと、
 僕自身だ。
 
 
 自分探しの旅、とはよく言ったもので、
 僕は、ついさっきまでの自分を荷物の中に押し込め、
 そうして新しい気持ちで異国の地を踏むつもりなのだ。 
 
 古い僕は、道中どこかに捨てられてしまうのかもしれない。 
 考えるうちに眠気に襲われ、寝ているとも起きているともつかぬまま歩を進める振動の中で、非常に長い時間を過ごしたようだった。
 
 
 
 
 気がつくと、濃いブルーだった闇があかるい青緑になっている。
 バッグの布地をとおして日光が入ってきているようだ。 
 
 ついにたどり着いたのだろうか。僕は、新しい自分を見つける地に。
 
 頭上で、じじ、とジッパーの音がして、
 身をすくめた。
 
 まぶしい。
 目が慣れたころにうつったものは、無精ひげをはやして知らないひとみたいに見える自分自身の顔
 ・・・ではなく、うちの父親だった。
 
 僕そっくりの華奢な体と薄っぺらい顔全体で驚きをあらわにしながら、
 緑映えるグリーンの芝生の上、
 ゴルフウェアーに身を包んだ中年の紳士たちと、
 かわいらしいおばちゃんのキャディさんに見守られながら
 
 「あー!!まちがって息子のバッグもってきてしもうたわーー」
 
 と叫ぶや、にやにやしながら頭を掻いた。
 
 
 
 
 
 (終)
 
 
イメージ 1