ものをよくなくすという性質は、自分がある程度面倒くさい思いをすればどうにかなる話しなので、真剣に治そうと努力したりなやんだりしない。
ただ、連日の猛暑の中でもトップを飾るであろう昼すぎ、自転車の鍵が見つからなくて、駅から15分の道のりを歩いて帰る羽目になったこんな日は、いくら気の長いぼくでも首といわず額といわず、かんしゃく筋が浮き出てしまう。
だらだらととめどなく流れる汗が目に入るが、なぜか両手いっぱいの荷物をさげている僕は痛みに耐えるしかない。
二つの荷物のうち右のも左のもある程度必要なものであったはずだが、たしかどちらかが、さほど大したものではなかったきがするから、いっそのこと置いていきたいのだが、どちらに重要じゃないものが入っているかわからないのでそれもかなわない。
誰か親切な人が現れて涼しいところにつれていってくれないかしら。
たまたま目に入った蝉の抜け殻をやつあたり気味に蹴飛ばすと、
それはうまいこと前を歩いていた女性にぶつかってしまった。
白いふくらはぎに、ぱん、という乾いた音をさせて跳ね返った蝉の抜け殻を見て、あわててあやまる。
するとそれは驚いたことに、大学時代に付き合っていた女の子だった。
うわあ、偶然、とひとしきり驚いた後で、今どうしてるとか世間話を始めたのだがどうもおかしい。
明らかに彼女の身長がちぢんでいる。
僕と10センチも変わらなかったはずの彼女のつむじが見え、
そのせいで上目づかいになった彼女の視線が思わせぶりに光って見える。
「そんなにちいさかったっけ。」
「ええ、特にかわってないわよ。」
そうはいうものの、あきらかにおかしいのだ。
平均よりはずっと高い身長を気に病んでぺたんこのヒールなかり履いていたくせに、
目の前にいるのは、かかとの高い皮のサンダルの上でしゃんと背筋を伸ばしてなお、
小柄に背のひくい女の子だ。
縮んだように見えるよ、というのに対し、やだなあ、おっかしい。おばあちゃんじゃないんだから。
とくしゃっと笑った彼女は、ぴちぴちしたアマダイのようだ。大きな魚を逃がしてしまった気がして、
陽炎のように未練がわいてきた僕に、
じゃあ、またどこかでね。
と、あっけないほどさっぱりしたせりふを残し、暑さも感じていないような軽い足取りで去ってしまった。
ふと見ると、抜け殻だと思っていたのは実態の蝉だった。
地面でじじじという音をたてながらくすぶっていたが、やがて地面の暑さに急かされて飛び立った蝉は、
これから七日間も鳴き続けるにしてはあまりにもよわよわしかった。
おかしな違和感のせいで忘れかけていた暑さが途端に五感を焼きつくすと共に、両手の荷物が重さを増した。ずん、と。、子泣きじじいじゃあるまいし、
と視線を右下にやると、本当に子泣きじじいがいたのでびっくりした。
しかも、その顔はじじいであると同時に、さっき会った子と付き合っているときに浮気してしまった少女の顔にも似ていた。
すくいを求めるように見た左下では、袋いっぱいのアイスキャンディが溶けまくっていて、
そのさまは甘い色々な旋律が奏でるワルツに似ていた。
さっき飛んでいったやつのものかと思われる、アブラゼミの鳴き声が耳に入ってきて、
それらは僕の中で不協和音を奏で始め、空間がゆがんで見えた。
暑さのせいで僕はおかしくなってしまったのだろうか。
それとも世界がおかしくなって、こんなに太陽が照りつけるのか。
相変わらず流れる不穏な演奏がおわったら、もういちど自転車の鍵をさがしてみよう。
こういった場合たいてい、何度もさがしたはずの場所からあらわれるのだ。
(完)