ひとりぐらしを始めてから面白いように不健康になった食生活を懸念して、僕は毎朝ミックスジュースを飲むことにした。
市販のパックのやつではどうも自己満足な気がするから、 奮発してヤマダデンキでちょっといいジューサーミキサーを買って、きちんと果物を切って回して作るのだ。
朝起きて、顔を洗う。 ひげそりは、だいたい二日置き。(特別な日をのぞいて)
あわせてあったアラームを全て解除する。
冷蔵庫の扉を開ける。
オレンジ色の光に照らされて、液状化されるのを待っている食べ物たち。
すぐれもののミキサーだから材料を選ばない。
果物に限らずなんでも入れる。ヨーグルトとか、黒豆だとか蜂蜜だとか。
レモン汁、バルサミコ酢・なつめやしに、白ゴマペースト
キウイは半分にしてスプンでくりぬく。
りんごは皮をむいて芯を取って小さくする。
バナナは包丁を使わなくても処理できる。
いちごはへたを取ってやる。
ブドウの皮をむくのは面倒。
柿の種のでかさには毎度びっくりさせられる。
そうしてそれぞれに応じた方法で、小さくなった材料をどさどさ入れる。
水か乳製品か、とにかく液体をどぼどぼ流す。
氷をがらがら放り込む。
しっかし特に問題も起きてないけれど、こんな古びたアパートじゃあ隣近所にもミキサーの音がうるさくきこえてるだろうなあ。
けど仕方ないから、申し訳なさだって一緒に回してやる。
入れるものは、これで終わりじゃあない。
僕は次々に放りこんでいく。
きのう、腹が立ったこと。嬉しかったこと。微妙に泣きそうだったこと。
いやらしかったこと。たとえば女の子の夏服の生地をついついじっと見つめたこととか。
何気なく胸をよぎったことも。
氷を食べると頭が禿げるのは本当なのか。
ちくわの穴について真剣に考えるひとは本当に仕事ができるのか。
蝉がうるさすぎる。ならば自分が蝉だったら、鳴かずに長生きする方法を選ぶかどうか。
好きなアーティストが好きだと言っていたことば。きょうという一日は残りの人生のうちの最初の一日。
これは、
生きるということは死ぬとは全く反対の意味なように思えて実は、生きるという行為そのものが死に向かっているのだよ。
という言葉を前向きに言い換えただけなのか、
と考えたこととか。
小さな小石が波紋を広げ続ける予感の数々も。
小学校の水泳の時間に耳に入ってしまってからまだもしかすると溜まっているかもしれない塩素の湖。
突然パニック映画のように降る大雨。雨宿りの恋人。
きょうは何かが起こるぞ、とか。
そんなこと言いながらなにひとつ起こらないじゃないかいつも、
とかそういった、もろもろの予感。
全ての材料を流し込んでスイッチに手をかける時、ほんのわずかにどきどきするのは、
わりかし大きすぎる作動音に備えて震えているのか。心臓よ。
スイッチを押す。
形も色もまったくちがう果物たちと、その他材料たちが、回り出す。
フルーツがフルーツの形をうしなってゆく。
反比例のごとく、
形のなかったはずのさまざまな材料から無いはずの色と成分が溶けだして、
ジュースという、ひとつの物質になる。
氷がシャリシャリするくらいの仕上がりがグッド・タイミング。
シンプルなガラスのコップに流し込んで、ごくごく飲み込んで、
飲み干した喉は、
数十分後には、誰もいない部屋に向かって小さくいってきますとつぶやいて、
僕の一日が、始まる。
(これでおわり)