うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

あつい夏

 
 
 
 
 私夏になると、すいかが主食になるのよね。
 
 三月から一緒に暮らし始めた雨子が、視線をテレビ画面の方に向けながらさらりと言ったそのひとことを、
僕は、いかに自分がすいかが好きであるかを大げさに表した言葉だろう、とたかをくくって、気にもとめていなかったのだった。へえ、そーなの。と、最近の芸人はアドリブがきかねえな、と考えながらビールを飲んでいた。
 
 しかし次の日から雨子は、ほんとうにすいかばかり食べた。
 六月も半ばを過ぎるとスーパーでひとたま980円で売り出しているが、それをどかっと二玉くらい買ってきてはは、びっくりするような手際の良さで、切る・消費する、をやってのけるのである。
 
 皿に並べられた二等辺三角形型(もっといびつだが)のすいかが、彼女のうすい唇に次々と流し込まれる。
 白いところがなくなってしまうくらいまで綺麗に食べるのに、口の周りを赤く汚すこともなく、いっそのことアーティスティックだ。
 種をだす動作はほとんどない。いぶかしく思って尋ねると、
 すいか好きにとっては種を飲み込むなんて当たり前のことなのよ。
 と言いのけてまた食べた。
 
 
 
 あまりに美味しそうなので、もともと瓜系は好きではないにかかわらずすいかを食べ始めた僕の様子に調子づいて、
 日が経つにつれ雨子は飯をつくらなくなった。そのかわりに買ってくるすいかの量だけ増えた。
 
 もともと飯づくりは彼女の役割である。自分の仕事である洗濯・掃除においては家政婦ばりにプロっている僕も、フライパンの振り方はいっさい知らないし、やかんの位置さえ知らぬ。
 しかし若い男なのだから、血や肉を作るたんぱく質だって撮りたいし、油っこいものも食べたい。
 なにより、ビールのあてにすいかでは、お腹がたぽたぽになってしまうではないか。
 
 ちょうど仕事がトラブっていたのと、肌がべたつく熱帯夜にイラついて、帰宅してすぐ目の前に飛び込んできたすいかの整然とした姿にぴきん、と神経が切れた。
 
 いいかげんにしろ、こんな旨くもないものばっか食ってられるかよ!
 
 暴言とともに、すいかを皿ごと流しに突っ込んだ。
 突然の行動に彼女は驚きの表情を見せたが、捨てられたすいかを目にすると途端に怒りの炎が瞳に湧きあがり、しかしそれはゆっくりと哀しみに変わって行った。
 長い付き合いの中で、そんな仕草を見たのは初めてで、僕は瞬時に後悔したのだが、
 なんと詫びてよいのやらわからず、また、今何をいっても言い訳にしかならないと、
 
 ちょっと出てくる、と再び靴を脱いでぶっきらぼうに部屋を出た。
 
 しかし選択は誤っていた。僕はそのときどう思われてでもよいから、ひたむきに謝るべきだったのだ。
 
 
 
 夜中二時ごろ帰ってくると、靴や荷物とともに彼女はいなくなっていた。
 
 絶対起きれる、と重宝していた柳沢慎吾の目覚まし時計も持ち去られていたことで、雨子が長期間僕の前から姿を消す覚悟であることを理解すると、途端に虚しくなった。
 
 流しに駆け込むと僕の捨てたすいかは綺麗に掃除されていた。生ごみ入れを開けると、きつく縛った白いビニール袋が入っていたので、破り開けて、残骸を全て食べた。ぬるくて酸っぱくて、自分がこおろぎになった気がした。
 
 
 
 次の日から、すいかばかり食べた。
 罪の意識や未練ではない。
 体が受け付けないのだ。
 
 そのうちに、包丁を入れた瞬間飛び込んでくるサーモンピンクを帯びた赤や、
 黒々した種がつるり、と喉に忍び込む感覚、
 口直しのごとくあっさりと甘みのない皮にほど近い部分まで、
 ふしぎな魅力を持って映るようになった。
 それは、いとしい、という感覚とすら呼べた。
 寝苦しさで早朝に目を覚ますとありえない寝ぞうで雨子が眠っていて、吹き出すのをこらえながら布団をかけてやるときの気持ちに似ていた。
 
 
 
 (これから先は二つ結末を思いついたので、アとウン・お好きな方をお読みください。)
 
 
 
 
 
 
 (ア)
  
 二年が過ぎ、動きや匂いが染み込んだその部屋を引き払って、少し離れた街に移り住んだ。
 勤めていた会社も辞めて、広告系の小さな事務所で働いている。
 職探しの期間に少し映画館でバイトしたのだが、そのとき虹美という二つ下の女の子と恋仲になり、
 実家から出たがる彼女を半ば仕方なく部屋にかかえ込んだ。
 
 虹美は映画監督を目指している。
 監督になるにはまず役者から、などと言いながら、劇団から配布された台本と夜な夜なにらめっこする彼女を傍でみられるのは、それはそれでいいものである。
 お金はそんなに持っていないくせに、よく花を買ってきた。
 誰にプロポーズする気だ、というような堂々とした立派な日もあれば、かすみ草だけのとき、とかもあった。そうして、DVDを日替わりでかりてくる。
 パスタを作るのも好きだ。家の戸棚に、アンチョビとかバルサミコ酢とか、あやうく一生知らずに人生を終えてしまうところだったものたちが並ぶようになった。
 
 
 雪の降りそうな静かに明るい冬の夜、こたつに入りながらDVDを見ていた。
 なんでもない場面のなんでもないセリフの時に、そういえば言わなくちゃならなかった、と思い立って、なんでもないことのように言った。
 
 俺、夏になるとすいかしか食べないんだ。
 
 
 へえ、すいか好きだったんだ。
 
 虹美は単調なトーンの返答ののち、え、ちょっと待ってこの場面、と身を乗り出して、巻き戻しをかけた。
 
 
 
 
 
 
 
 (ウン)
 
 
 残骸をどうしようか迷った挙句、ベランダのプランターに植えることにした。
 
 ガーデニングなど初めての経験なのでどうすればいいかさっぱりわからぬが、とりあえず乾燥したら水をやり肥料も定期的に与える。 半ば冗談のように始めたことであって、本気ですいかを育てようと意図したわけではないし、別れた彼女の形身に好きだった植物を愛でるなんてしんきくさすぎて嫌だった。
 
 なのに、順調に芽が生え葉が育ち、つるがくるくると巻き付いた。
 
 次の夏には、立派なすいかですねえ、と住人に褒められるまでになってしまったずっしりと重そうなその果実たちをどうしたものかと考えねばならなかった。
 家族にでも送ろうか。
 
 開け放した窓から入り込む蝉の声と暑さに包まれてうつろな頭ですいかを考える。
 
 
 ピンポン、とインターホンが鳴った。 
 動くのが面倒なのでよく居留守をつかうのだが、なんとなく腰をあげるタイミングを探していたのもあり、
 へいへい、とドアを開けると、
 雨子が立っていた。
 見たことのないブラウスを着て、髪が少し、短くなっている。
 けれど、一年前に僕の目の前ですいかをしゃりしゃりいわせていた雨子だった。
 
 「りっぱなすいかがあったから。」
 
 なんと言おう、ひとこと目になんと言おう、 と悩みに悩んだ末に言ったのが伝わってくるような、用意されたせりふだったのにもかかわらず、言ったあと彼女は泣きそうに顔を赤くした。 
 
 僕はといえば、
 怒ろうか笑おうか、突き返そうか、そんなことをぐるぐる考えながら、
 気が付くともう、震える雨子の手を握っていた。
 
 
 
 
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