ずっと前からだが、金魚の様子がおかしい。きちんと浮けなくなった。
尾ひれを下に垂直に立っているさまは、砂利に咲く花のようである。
がしかし、ご飯をやるときにおいては、気配を察知してか、
体全体を使いながら浮いてくるのである。いかんいかん、と首を振って正気に戻ろうとする、酔っぱらいや眠い者の動きに似ている。
フレークをぱらぱら落としてやると、一粒も残すまいと力強く泳ぎ回り、口をぱくぱくさせて食す。ここだけを見ればしごく元気な金魚に見える。
さらにそれだけでは終わらず、ひととおり食べ尽してしまうと、間に合わずに砂のそこに溜まってしまった餌まで食おうと、砂利を口に含みだしては、ぱこっと吐き出すのである。
時には埋まっている自分の糞まで食べそうになっては、ぱこっと吐き出している。すごい生命力だ。
名前をつけなかったためか、全く愛着がわいていない。
一人暮らしなのでもちろん私の他に愛情をそそぐものなどおらず、つまりは飼われるものとしては不可欠の愛情という糧が欠落しているのであり、
餌だけを食べて生き抜いてきた。
ではなんで飼い始めたのかときかれると、それはるる子のせいだ。
るる子は自分の名前がひらがな表記のくせに、漢字でつけてもらえないのは両親の怠慢と愛情の足りなさによるものだと不満をたらたら言い、ついには「流々子」に改名してしまったのである。
といっても役所に提出したわけではなく、知人や馴染みの飲み屋のマスターに、「私、流れるながれる子、と書いてるるこ、に変名したからね。」
と、とにかく言いふらすだけである。
ちなみにるる子は、私の前に一緒にすんでいた女だ。
25歳で、パチンコ屋と本屋のバイトを掛け持ちしていた。
そんなこんなで、自らつけた漢字をたいそう気に入った彼女は、
水の中の生き物に突然愛着を覚えた、かの理由である日曜日、亀と金魚とウーパールーパーを購入してきたのである。
すべて場所はあまりとらない。けれども金魚の水槽についた循環濾過器はしじゅうぼこぼこブルブルと鳴ってうるさいし、亀は生きているのかそうでないのかわからない時があるし、ウーパーにおいては見た目が好きじゃない。
もともとステンドグラスとか水ようかんとか、半透明なものの美が全く感じ取れないタイプだった私は、その旨を述べた。わりとはっきりと、夜中に這い出してきて布団の中に潜んでいたりしそうで気持ち悪いから返してこい、とか言った気がする。
すると彼女は、三メートル四方の人から見てもわかるくらいにショックを受けた、という表情を作り、あなたは私の理解者であると信じていたのにそれは間違いだった、と述べてから、
絶望に打ちひしがれた姿で部屋を出て行った。
12月の寒い日だった。木枯らしが吹いていたから、一時間も経たぬうちにすぐに帰ってきた。
るる子は寒さが苦手なのだ。
がしかし、一ヶ月ほどしてからある日別れてほしいと告げられ、あっという間に出て行った。他の男でもできたのかもしれない。
なぜかそして、金魚と私が残った。
循環器の音にも馴れたし、排水溝に流してしまうのもあんまりだったので何となく飼い続けている。
匂いと見た目の汚れが嫌なので、水換えもわりとまめにしている。
なのに、ヒーターをつけていなかったせいか、他の水槽に移す際に傷をつけてしまい感染症に陥ったのか。
病気の哀れな姿を見て、るる子を思い出しもしないが、
餌をやった時のどん欲さはまるで愛情に飢えた愛人のようだ。
自分が愛されていないことを肌で感じているくせに、
こちらが優しい言葉を投げかけると傷ついた心を振り絞ってすぐにそれを鵜呑みにして、次に優しくされるまで死にそうになりながらも生きようとしている。
白くふくれた腹と赤い唇が醜いとわかっているくせに、それを武器にしてこちらの気を引いてくる。
ぷかー、と浮きかけて、あわてて水平状態に戻ろうとするもかなわずすぐに直立してしまう姿を見るとなぜだか気が滅入る。
けれどもそれは人の愚かな姿そのものなのではないか。
ということで全国の愛人・二股をかけられている人を対象とした、金魚による恋愛講座を開きたいと思います。場所は、私のアパート。晴れた日はベランダなども良いでしょう。一講座一時間。
みなさま餌のやり過ぎは禁物ですので、先生にお礼をしたい際は、
じっと見つめたり、一緒に口をぱくぱくさせながらそばに何時間も居てやってください。
新しい濾過機のスポンジなどでもよろしいかと思われます。