毎日じめじめしていやあね、
などという同僚たちのつぶやきに反して、このところ僕の体はすこぶる調子がよかった。
原因は、どうやら頭のようだ。最近抜け毛が少ないし、なんとなくふさふさと決まっているのだ。
はたちを過ぎるころから薄毛が気になっていた僕に対して、世間は「若はげ」
という見えないレッテルを貼った。
酔ったときなどにごくごく親しい友人に相談すると、
気にしすぎだよ。
とか、
自分が思っているほど周囲は自分のこときにしてないって。
とか、ひどく明確な答えをいただいたにもかかわらず、
誰かがひそひそ話をしていると必ずじぶんの頭についてだと疑った。
すこしそっけない態度をとられただけで、
きのうより髪が減っているからだ・・・と
うつむきながら帰路に着いた。
そんなある日。
精神的つかれからか、うとうとした僕は、電車でずいぶんのりすごしてしまった。
目が覚めてあわてて降りたものの、きいたこともないようなちいさな駅だ。
引き返すには、階段を上り下りしてむかいのホームまでいかねばならない。
帰る気すらうせ、なんとなく改札を出てしまった。
初夏のなまぬるい風が、べたついた頬をなでる。
魔がさす、とはよくいったものだが、
どうやらスーツの上着をぬいだ僕の右肩に、
ささった魔はまだ残っているようだ。
駅からどんどん離れても、足は
見しらぬ駅の見知らぬ竹藪の中へ踏み込んでなお止まらなかった。
日が落ちたせいだけではないぐらい、ふと、
気温が下がった気がして、われに帰ると、目のまえに真黒の沼があった。
緑も青もまざっていない、これまで出会った中でいちばん純粋に黒、とよべるような色の水面が、
そのゆらめきすらも悟られぬくらいにじっと、僕を待っていた。
すり減った皮靴をはいたまま、
すこし足をつけてみる。冷たくも、ぬるぬるもしていない。
上品な器にだされた冷ややっこに、箸をはじめて入れるような感覚。
そのまま進むと、徐々に、水につかっている方のからだの面積が多くなってゆく。
耳そうじのときに、内側にふれる感触のないまま、思ったよりも奥の方まで耳かきが入ってきたときの、
おそろしげな感覚と似ていた。
(つづく)