見るからに熱そうな、ぐつぐつのドリアを、運ばれてきた途端に女は手をつけた。
とろけたチーズが、知らない間に廊下の隅に作られた蜘蛛の巣のような細さで銀のスプーンにまとわりつき、紅がきれいにふきとられた口に吸い込まれてゆく。
熱くないの?
ときく間もなく、女は手で鼻と口全体を覆って、熱い!という旨を、そんな時特有の「たちつてと」が発音できない状態で訴えた。目には涙まで浮かんでいる。
今しがたオーブンから出されたばかりの乳製品は最後の力をふりしぼるごとく湧き立って、三種のきのことほうれんそうという、どうしようもなく健康的な具材までもが、水分を吹き出しながら攻撃的に見える。
熱さがのど元を通り抜け、やっとのことで落ち着いた女は、桃色のレースのハンカチで瞼を慎重に押さえながら、それでもまだひりひりと痛むであろう口内の痛みを持て余していた。「ドリアって頼むといつもこうなの。」
もう少し冷めてから食べればいいのに。
当たり前の提言をすると、女はやけどで赤くなった唇を曲げて笑った。
髪の毛を切った次の日学校へいくのって、とてもはずかしくなかった?
僕は思いをめぐらせた。そうだな、小学校4年生くらいの、自意識がある意味最高潮に達したぐらいの時分にはそんなこともあったかもね。
自分ではそれほど思い当らなかったが、ある日クラスの男が親に角がりにされた翌日、水泳帽をかぶって登校してきたきことを思い出した。
女は続けた。
今でもすこし気恥かしい。
けれど、たとえば毛先だけ揃えたときなんかに誰にもきづいてもらえないと、とても味気ない気がするのよ。
だから美容院に行ったら私はいつも、あ・ちょっと切りすぎてしまったと、後悔して帰ることにしている。
僕は運ばれてきたカレーライスの香辛料で脳をなんとか刺激させ、自分の中に眠る体験で近いものを抽出しようとした。
「それは・・・そうだな。歯みがきの時に絶対歯ブラシを喉の奥まで入れて、うえっ、て、えづかないと目が覚めないっていう心理と同じなのかな?」
子どものころたまらなく嫌だった祖母の癖だ。
優しくて比較的かわいらしく年を重ねた彼女が、そのときだけ嫌なものに感じた。
けれども僕は最近舌を磨く際に、三回の歯磨き中いっぺんはそうなっている。
そう、きっとそれだわ。
女は目を輝かせた。
耐熱皿からはもう湯気が立たなくなっており、ほうれんそうときのこはぐったりとしなびて工事中のはげ山のように活気がない。
二口目からは普通でいいの?
ええ、だって最初にしたやけどが痛むんですもの。むしろ少し冷たくなってからでいいのよ。
女は澄ましてさじを動かし始めた。
僕もそれ以上は追及せず食べることにした。
悪意を持つかのような午後の日差しをよけるため緊急避難した喫茶店だったが、
予想よりはるかにうまい。チキンと野菜がちゃんとそれぞれの役割を認識している。
辛さのあとにひろがる甘みはふくよかに、
いましがたした他愛のなさすぎる会話をすこし素晴らしいものにしていた。