うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

スノーモンスター

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 ~前回までのあらすじ~

 変人発明家のパワフルおじいちゃんが発明したのは、なんと、読む人の思いによって中身の変わる小説。長年の研究を経てできあがったその本を目の前に、僕は興奮を隠そうとしなかった。




 なにしろ、一冊の本でありながら、展開は見る人の思いによって変わるのだから。
 例えば『かちかち山』でいえば、おばあさんが、たぬきに乱暴されないように仕向けることだって可能なのである。
 一体どういった人物が主人公なのだろうか。
 表紙には星のようなマークが一つあるだけで題名すら記されていないので全くの未知だ。



 「けど一体、どうやって作ったのさ。この間は変な試験管並べて、大爆発させた挙句失敗してたじゃない。」
 待ってましたとばかりに祖父が答える。
 「あれはアプローチの仕方が間違っていたよ。化け学を応用すればなんとかなるのではと考えたのだが、酸化マグネシウムと硝酸が・・・」
 専門用語が飛び出してきそうだったので、僕は慌てて止めた。
 「じゃあさ、五行六法に基づく東洋医学から考えたっていうあれは?」
 「ツボ押しマッサージに行って、余計体が痛くなってからは信用しとらん。」
 思いだすのもわずらわしそうに顔をしかめるのを見て、話題を変える僕。
 「じゃあさあ、パラレルワールドを形作る刹那の衝動論を起用したアインシュタインの相対的な・・・・」

 もうなんだか、言ってる自分がわけわかんなくなってしまったので、説明を聞くのをやめることにした。
 ただ、発明の凄さとかがどうとかよりも、最愛の祖父がこの世界でいちばん幸せそうな顔をしていることがただ嬉しい。
 
 「ねえ、その本、触らせてくれる?」
 本当は見せたくてたまらないくせに渋る祖父に、僕はふくれ面をした。
 「なんだ、子どもじゃあるまいし。」
 変わらぬ祖父の笑顔に、すべての一般家庭のちゃぶ台の中心には、魔方陣が書かれていると思いこんでいた小学校時代を思い出す。
 
 「仕方ない、ぜーったいに乱暴に扱っちゃいかんぞ。」
 そういう自分こそ、ラジコンを貸すのを嫌がる子どもみたいじゃないか。思わず笑ってしまう。

 手に取って間近で見ると、暗い色でわからなったが、あちこちが汚れて古びているのがわかる。まさしく強い思いと努力が凝縮されたそれは、話の中で聞く雪のような文庫本よりも絶対に、ずしりと重かった。
 中身は、一ページ目は、一体どうなっているのだろう。開くのが怖い。
 しばらく手にしたまま固まっているのを見て、付け加えられた言葉があった。
 
 「あと、しちゃあいけないことがある。後ろから見たり、ページを飛ばしてよんだりは、絶対にしないこと。本の中の時間が狂ってしまうからな。」
 いつものコミカルとは打って変わって真剣な表情につられ、真面目に頷く。
 コンコン、と音がして、返事をすると後ろのドアが開いた。
 「おや、帰ってたのか、美佐子。」 
 
 戸惑いを浮かべる彼女に、僕は目配せした。
 「ええ、ただ今。・・・おとうさん。」
 「おまえが世界をあっちこっち行ってる間に、わしゃこの小さい日本の小さい部屋で、ひとつの世界ともいえるものを作ったぞ。特別に見せてやろう。」
 言い回しだけは威勢がよいのだが、もうその瞳は眠そうで、ろれつも怪しくなっていた。

 「おや、ところで。」
 一点を見つめる先はどこか遠いところで、決して僕を見てはいなかった。
 「伸治はどこへ、行ったかのう。」
 伸治は、僕の名だ。本人を目の前にしながら所在を探す仕草に、たまらず涙がこみ上げる。
 ただ、探しているのは32歳の現在の僕でなく、高校生の、それとももっとずっと前まで遡る記憶の中の姿かもしれない。
 いけない、大切な本が濡れてしまう。
 少しでも楽になろうと、ネクタイを緩めて、ごくりと唾を飲み込む僕を見て、妻の美咲もうつむいた。

  何を言っているのかはもはや聞き取れず、リクライニング機能のついたベッドに身を沈め寝息をたてはじめた彼の顔には、どうひいき目に見たって老いを感ぜずにはいられない、深い皺が刻まれている。
 枕元に置かれた「しおりさん」はぼろぼろで、女性の姿を象ったものだとすら判らなくなっていた。


 「お父さん、また私の事お母さんと間違えたみたいね。」
 眠ったのを見届けて、美咲が隣に座る。
 「うん、さっき二人が来ていて入れ替わりになったんだけど。その時はふたりのこと全く誰だかわからなかったみたいだ。」
 話を合わせてくれてありがとう、と告げる。
 長年の、まだ若いころから目指してきて、やっと叶った夢が本物であると、せめて彼には信じていてほしかった。


 祖父の言動がたびたびおかしくなってから、両親はずっと帰国している。
 自分の家で暮らすときかない祖父や、しばらく仕事を忘れて面倒を見ると言い張る両親を説得して、僕は妻との新居に彼を招いた。
 恩を返す、とかそんなんではない。
 祖父の背中ではなく、お腹を見て育ってきた。決して先をゆくのでなく向き合いながら、幼いころからいろいろなことを教えてきくれたヒーローであり、先生であり、じいちゃんと、一緒にいたかった。

 
 
 店に並んだ本の中から、まだいちばんまともな、というか綺麗で読みやすそうなものを10歳の時に手に取ってみた僕は、難解さに辟易し、ひと月かけて読み終えたところで、恋と友情をめぐって自殺が連鎖するその話を、とても名作だとは思えなかった。なんだこりゃ~あ、終わりかい!というのが素直な感想だ。
 しかし一部始終を見守っていた祖父がにっこりと声をかけてくる。


 「5年たってから、も一度読んでごらん。」

 中学三年生の受験勉強に明け暮れるべき時になぜか、思い出した祖父の言葉をそのまま再現。
 そうすると、あら不思議。そっくり魔法がかかったみたいに、内容が変わっているのだ。
 もちろんそんなことはなく、心身の成長と当時の不安定に研がれた感受性によって、受け取り方がまるで違っていたのである。
 まあ、一度目は幼くてちゃんと読めていなかったところが大きいのだけれども。


 こたつの中で最後のページを読み終え、まだうつろな頭のままぼんやりと考えた。
 この原理を利用したら、じいちゃんが言ってたあの本、できるんじゃないのか・・・・

 
 
 
 

 呆けてしまってからはめっきり発明のことも口に出さなくなり、忘れてしまったかと思われた矢先のことで戸惑いはしたものの、いつまでも夢いっぱいの男でいてもらうため、演技を続ける決心をしたのだ。
 
 一緒に、じっと寝顔を見つめていた美咲が、そういえば、と口を開いた。
 「ねえ、おじいさんが持ってた本、中身は一体なんなの?」
 「さあ・・・。もともと家から持ってきたものか。僕の書斎から持ち出したのかもしれないし。」
 いまや僕の書斎は本の宮殿のような有様で、持ち主すら在庫を管理できていない。

 「伸治さんの昔の日記帳だったりして。ね、あけてみましょうよ。」
 「馬鹿いえ、子どもがこんな渋い日記帳につけるか!」
 冗談を言い合いながら、表紙に手をかける。





 あれ、と思った。
 なんだろう。何か音がする。
 驚いて隣を見るが、どうやら自分にしかきこえていないようだ。
 海辺で拾ってきた貝殻を、耳に当てたときと似ているが、もっとそわそわさせる、ささやくような音。
 まさか。
 まさか、という単語が、もしかすると、に変わり、最終的に、こうなった。

 きっと。じいちゃんなら、きっと。
 
 駆け出しのころに母がピラミッドで見つけた、ツタンカーメンの秘宝を蓋開く時でさえ、これほどではなかったろうという慎重さで表紙を開けて、一ページをめくる僕の耳に、音がいっそう響いてくる。 
 活字の刻まれた頁は驚くほどに白く光っていて、聞こえてくるのは、雪の音かもしれなかった。






                                 (完)