うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

しのびよる破局

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 しのびよる破局。強烈な題名の本です。




 
 きょう、買い物帰りに歩道橋を降りると、おじさんが倒れていました。

 身なりは綺麗ではなく、全体に灰色っぽい。路上に投げ出された手元には月桂冠のワンカップ空き瓶が2つくらい並んであるので、酔っぱらって寝ているのだとわかります。

 10月下旬の夜は冷え込み、泥酔しているだろうから、放置しておくと死んでしまうかもしれない。

 けれども、誰も、大丈夫ですか、と声をかけないばかりか、嫌なものを見るように避けて通るひともひともいます。

 10代の若者が多いような通りなので、心配する気持ちはあっても、実際の行動に移れないのかもしれません。

 住んでいる地域柄か、こういうことはめずらしくもなく、
 今までにも倒れてい人を見つけて、警察に通報して連れいってもらった経験もあったので、
 どうしようかと一瞬迷ったあげく、通り過ぎました。多分声をかけても起き上がらず、警察に電話するはめになるでしょう。そうすると、通報者はパトカーがくるまでその場にいなければならない。

 はやく帰りたいし、おじさんを助けたところで、おじさんはまた同じ事を繰り返すでしょう。
 
 だんだんとおじさんから遠ざかりながら、そんなことを考えながら、でもやはり、おかしいと感じます。
 ほうっておいたら死ぬかもしれない人を、見てみぬふりをすることは、どうかんがえてもおかしい。

 けれども、面倒くさいし、はやく帰りたいという、本当にくだらない個人的な理由から、私はひきかえすことをしない。



 目の前にちょうど、交番が出てきました。

 
 ほっとした思いで中に入ると、奥から若くて体格の良いお巡りさんがあらわれます。

 
 「こんばんは。ちょっと行った所の歩道橋降りたあたりに、おじさんが倒れているんですけど。」

 「歩道橋?どのへんかな?上?下?」

 「歩道橋の下です。ここ真っすぐ行って大通りに出るところを右に曲がって、◯◯[ショッピングビルの名]を通りすぎたところ。」

 「そういわれてもねえ、このへん歩道橋ののぼり口いっぱいあるから、わからないよ。」

 と、不機嫌そうになって地図を書いてくれるのですが、私はあまり地図がよめないので、口で説明しようとする。すると、お巡りさんがイライラし始める。

 私も、イライラし始める。いっぱいあると言ったって、本当にすぐ近くなんだし、傍までいけばわかるではないか。倒れている人とか、困っている人を助けるのために、交番があるのではないか。

 けれども、じゃあ、大丈夫ですか、と声をかけなかった私はなんなのだろう。声をかけて、ちょっと身体をゆすれば、おじさんは目を覚まして歩いて家にかえったかもしれない。


 とりあえず行くことにしてくれたお巡りさんだったが、
 「じゃあすいませんがお願いします。」

 と言って交番を後にした私の無責任さったらない。


 多分交番がみつからなければそのまま何もしなかっただろう。

 それに、見つけてから十五分くだい経っていたから、おじさんはもしかすると他の人に声をかけられて起き上がり、いなくなっているかもしれない。

 お巡りさんの苦労は徒労におわり、その間、たとえば強盗に後をつけられている、とか、すごく切迫した人が助けを求めて交番へやってきて、誰もいなかったせいで危害をくわえられたら、私は間接的な加害者となる。






 今、読んでいる辺見庸さんの本。「しのびよる破局

 ホームレスの人びとがあふれる社会を当たり前だと感じ、そうならざるを得ない不平等な社会や、その人たちの受けている不当な扱いに無関心でいることに慣れた今の社会へ警告を投げかけてきます。


 私も、慣れきっているうちの一人にすぎない、ということを思い知ったできごとでした。

 今の社会が狂っているとか、訴える気はないし、やはり、今在る社会の価値観で受け入れられるものを作れなければ、何も始まらないと思います。辺見庸さんだって、数々の仕事をこなし、認められてきた上で、疑問を投げかける文章を書いておられます。


 けれども、おじさんが寒いとか、しんどくて起き上がれないとか、そういった肉体的な感覚を少しでも自分のもののように感じられたなら、きっとすぐに声をかけたと思うのです。


  ◯「しのびよる破局~生体に悲鳴がきこえるか~」(辺見庸/平成22年 角川文庫 )