精神世界か物理世界かはしりませんが、この世界のどこかに、
わすれものの国、というのがあるそうです。
そこにあるものはすべて、建物も食べ物も草花も、誰かのわすれものです。
お城に使われている石は、どこかの工事現場に置きっぱなしにされていたものですし、
花壇に咲いている綺麗な花も、種まきのときに土に埋められそこねた種から育ったものですし、
もちろん、国民のさす傘は、電車の中やお店の傘立てなどに忘れられていたものです。
わすれものをたくさんする人が権力を持ち、しない人はあまり偉くなれません。
そのため国の統治者である王族のわすれものっぷりといったらないのです。
例えば王さまは老眼鏡をいつでもどこかに置き忘れてしまうので、
どこに置いたかのメモをするのだけれども、そのメモ書きをどこに忘れてきたのかもわすれてしまう、 といった具合です。
なので、別の国からダイヤの原石の忘れ物がお城に届いても、
それはすぐにバルコニーや馬車の中なんかに忘れられてしまい、
結果的に少し経つと、一番わすれものをしない、あまり力を持たぬ民の所有物となるのです。
水が低いところへ流れてゆくようなこの仕組みのおかげで、
国には格差というものが存在せず、結果的に争いのない豊かな社会が築かれています。
さて、なぜこのお話を思いついたかというと、
小学生の頃忘れ物ばかりしていた海坊主は、クラスメイトから「忘れ物の女王」という称号を与えられ たからでした。
忘れ物の女王ってなんやねん、と思いながらも特に反論せ
す飄々としていました。
ある日も、
例によって忘れ物をして、明日は持ってくるように今すぐ連絡帳に書け、と先生にいわれたのですが
連絡帳を持ってきていませんでした。
じゃあかわりに出せといわれた自由帳さえもあいにく持ち合わせていなかったのには先生も驚きあき れ、ついには親に注意の手紙までも書かれたという苦い経験です。
辛い辛い。こんなお話を発表することによって少しは昇華できているでしょうか。