こうもり男のカフェ 3
~前回までのあらすじ~
洋食屋のマスターであるこうもり男は、ランチの仕込みの最中で、タマネギをきらしていたことに気がつく。ひさびさに街を歩けば犬に突然ほえられてしまい…衝撃の急展開。
わん、わん!と、
「わ」に濁点をつけたような音で2度みじかく吠えられたこうもり男はふるえあがってしまった。
犬が苦手だったのである。
幼少のころ、叔父の家でピアノを教えてもらっていたのだが、
その行き道にある白い家に大きな犬が居た。黒い猟犬のようなやつだ。
口には人を咬まぬように輪っかがつけられていたが、その輪っかが外れた時のことを想像すると
付けていないよりも尚おそろしかった。
しつけられていたため、
前を通る際も唸ったりはせず、ただ色素の薄い目で、射抜くような視線を投げかけてきた。
見ないようにして足速に通り過ぎればよいのだが、
ひどい雷の日にカーテンを開けて稲光のタイミングを伺ってしまうのと一緒で、
釘付けになったままそろそろと歩いた。
そうして辿り着いた先に住む叔父は、もっと恐かった。
灰色がかった髪をいつも気障に伸ばし、家から出ないというのによそ行き風のシャツを着て、
彫りの深い顔は大きく骨張っている。
胸ポケットにさしたペンでピアノの教材にチェックを入れたり時には指揮棒がわりに振ったりするのだが、
ペン先が突然のびて、自分の目やゆびさきを突き刺すのではないかと、子どものこうもり男はいつも不安だった。
おかげで、犬や叔父がこわかったからピアノに行きたくないのか、
叔父が恐いから犬まで嫌なものに思えていたのかわからないくらいだ。
ともあれ、めまぐるしくよみがえった恐れの感情は生々しく、
考える間もなく走りだしてしまった。
きっとのろい筈だが、自分では風のように走っているつもりだ。
目の端でとらえる風景がどんどんと後ろへ流れてゆくが、犬がそこまで追いかけてきている気もする。
首輪でどこかにつながれているのは見たはずだが、そんなことは関係ない。
足がもつれるのと息がきれるのと、同時ぐらいだった。
こうもり男は膝をつき、痛みというよりも熱さが両膝を駆け抜ける。
のどの奥から息が上手にでてこない。
鉄と似ているけどそうではない、何かの味がした。
(つづく)
作品紹介用サイト→海の中で傘 www.umitsuduki.com
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