うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

ウイスキーの海

イメージ 1

 突然、空気が変わった。
 潮の匂が消えたのだ。かわりに、小さい頃に突然胸を締め付けたわけのわからない不安や、山で飯ごう炊さんをしていて食べ終わった頃に気がついたら辺りがすっかり夕闇に包まれていた時の切なさのような気配が、鼻といわず耳といわず、あらゆる感覚器官を刺激し始めた。
 そういった感情は放っておけばフェードアウトしてゆくものなのだが、今度のはちがった。胸の中でもくもくもくと膨張して、いてもたってもいられなくなった私は海の中へざぶざぶと進んでいった。不安な予感をめいっぱい孕んだ空気に身ひとつさらすよりは、塩水でもなんでもよいから何かに身を護られていたかったのだ。

 災い転じて福となす、怪我の功名。昔の人はよくいったもので、まさにこの命知らずな行動のお陰で、私は人魚に出会えたのである。

 目の前に、髪の長い女の人が居た。
 私は砂の上に寝ていて、状況から察するとどうやら溺れていたところを助けていただいたようなのだ。
 彼女は伝説どおりしなやかな肢体と鱗で覆われた下半身を持っていたが、美人、というにしては特徴のありすぎる顔だちをしていた。
 食いしん坊万歳に喩えると、山下慎二さんが口に含んだ瞬間「うーん、・・・変わった味ですね。」とコメントせざるを得ない料理、といえばわかりやすいだろう。

 「気がついたようだな。人間はよう、なんで水に入りたがるかねえ。あたいはもう随分人魚をやってるけど陸に上がりたいと思ったことなんて一度もないね。」
 吐き捨てるように言うと彼女は魚式ヤンキー坐りをしながら水タバコを吸い始めた。持ち歩いているのだろうか。それにしてもこの辺はヤンキーが多い。
 下手に出るとなめられる、ヤンキーの世界に詳しくはないがそのぐらいの常識はわきまえていた私は単刀直入に切り出した。

 「あのさあ、アンタ、今日の放課後顔かして・・・じゃなくて。その腰のあたりの肉ちょっとわけてくんねえ?」
 その時のこのアマといったら、『ターミネーター2』でシュワちゃんが「キミの服と靴と、バイクが欲しい」と当然のように言った時に、相手の大男が見せたマヌケ面とクリソツだったよ。
 それでもひるまなかったね、あたいは。
 喧嘩売ってると勘違いした相手が右ストレートを繰り出してきたと同時に、カウンターで鼻っぱしらを思い切りぶったたいてやったんだ。
 そうしたらやっこさん、獣のカンでわかったらしい。目の前の人ヤロウが自分より数段上のファイターだってね。

 (つづく)