夏は始まりとともに終わってゆく感じがするのはどうしてだろうか。
特に好きだというわけでも、この季節に忘れられない思い出があるというわけでもないのに。
地元の比較的大きなお祭りで、
ビルと空の隙間から小さな小さな花火を見て、金魚すくいをしてかき氷を食べた私は、
花火が断片しか見えなかったのと巨大金魚が釣れなかったのと、
やっぱりイチゴじゃなくてブルーハワイにすればよかった、という後悔とでそれぞれに少しずつ不満は残ったもののそれなりに気分が高揚し、
ひととおりのことはやったから、もう夏は終わっていいわ~
などと漏らしたその矢先、
非常に大きなことをやり残していることに気がついた。
それはすいか好きにとってこの季節のミッションともいうべき、
神秘と興奮に満ちた季節感あふれる儀式。
すいか割りだ。
これなくして秋を迎えるわけにはいかない。
いても立ってもいられなくなった私はその場で友人に別れを告げ、
スーパーで大きくてずっしりとした上質のすいかをひと玉980円で買い上げ、
その足で海行きの列車に乗り込んだ。
ごとんごとん、という振動が、膝の上に乗ったすいかの中から湧きでる生命の躍動感とシンクロしている。
「海駅ー、海駅ー。」
のっぺりしたアナウンスが鳴り響き、まるで駆け落ち中のようにどきどきしながら下車した私と、腕に抱かれたすいかの前に広がったのは一面に広がる海だった。
月明かりをうけて輝きながらも黒々とした水面は怪しくおそろしく、
昼間はあんなにも能天気な白さを見せる砂浜でさえもひっそりと闇に沈んで、
波打ち際との境目がわからないようである。
小さい頃にちょっと足を踏み入れただけで心配した母親が駆け寄ってきたものだが、
大人になってようやくその理由がわかった。
そのぐらい、夜の海は近付いたものを容易く密かにのみこんでしまう脅威を秘めている。
私の心臓は相変わらず激しく動機していたが、怖くはなかった。
海風にさらされてなめらかになった砂浜をひたひた歩き、おごそかにすいかを置くと、 あらかじめ用意していた紺色の手ぬぐいで自分の目を覆う。
途中で取れてしまってはもとも子もないので、しっかりと後ろで結ぶ。
昔剣道をしていたが、これは面着けの瞬間と非常によく似ていた。
装着した途端に、世の中から怖いものが大幅に減る気がするのだ。
立ちあがると、これも持参した角材を手に、大股で十歩数えながらすいかから離れた。
さらに角材を地面につけ、それを軸にしたままきっかり十回転する。
五回転目あたりから目の回り方は相当にひどく、
気持ち悪さと、平衡感覚を失うことへの抵抗で、一種のトランス状態に陥った私は、中心と剣尖を意識しながら中段の構えを取り、猛然と敵の気配がする方向へ向かっていった。
ざくっ
渾身の力を込めた私の初太刀は、空を斬って虚しく砂に突き刺さった。
こしゃくな・・・
間髪いれず、わずかに足を左に開いて次の攻撃に移る。
かすりもしない。きゅっという砂の音があざ笑うかのようだ。
いかんいかん、ここで冷静さを失ってはこちらの負けである。
ぱっくりと中心から真っ二つに割れてみずみずしい果実をのぞかせる獲物の姿をイメージしながら、
波の音と潮の香を五感から遮断して、
すいかだけに神経を集中させた。
同じ空気の流れる場所、遠くない範囲の内で、
ざわざわと何かが動き出していた。
緑の球体の中で息をひそめていた野性の闘志が、
七年間土の中で時期を待っていた蝉が一斉に鳴き出すように、
抑え込んでいた情熱の放出口を見つけてめらめらと燃え上がってゆくのがわかる。
そうやっぱり、こうでなくっては。丸腰相手ではおもしろくもなんともない。
にじり、と相手が間合いをつめてくる気配。
割るか割られるかの真剣勝負だ。
何年か前から、夜に一人ですいか割りをして遊ぶ若者の負傷事故が起き始めたが、
荒波の折にサーフィンをしてひどい目に遭う波乗りがいなくならないように、その例はあとを絶たない。
すいかに割られるなら本望だ、とひとりのけが人は話したという。
それでも勝負は勝たなくては意味がない。
待っててね。今にその頭をかち割って、夏中ずっとしていたように、種も皮の白い部分もなくなるくらいに綺麗にたいらげてあげよう。
もしかしたら勝負の最中で私の流す血は、あなたと同じくらいに糖度を含んで甘くなっているかもしれない。
(完)