自分の天職が「おめかけさん」なのではないかと思い始めたのは、十歳になってまもなくのことだった。職というか、生き方というべきか。
将来の夢をきかれたとき「およめさん」と回答する人の気持ちがつゆほども理解できなかったのは予兆であった。
どんなに甘いウエディングケーキを食べさせあいっこした恋人同士も、夫婦になると互いを恋する気持ちなんてすぐになくなってゆく。「絶対言ったらだめよ」と教えた秘密が何故広まってゆくのか、それは打ち明けた相手が必ず誰かに漏らすから。「絶対言っちゃいけないよ」と言いながら。
人の心なんてそんなもの。絶対ということばをあてはめてはいけない、うつろいやすく脆く、羽根の如く軽くて頼りないもの。
安定を求めて結婚したがるのならそれは大間違いで、お嫁さんという生き物ほど不安なものはないのだ。
それに比べておめかけさんは最高。向こうが会いたいときにだけ、つまり必要とされている時にだけ望みをかなえてあげられる、いつも新鮮な魅力をふりまきながら。まるで魔法使いだ。初めから自分のものではないから、やきもちなんていう疲労のタネには縁がない。
あくせく働かずに、道で「ぐりこ」をしている小学生をほほえましく眺めたり、好きな男の人が来る日だけ朝からたっぷり時間をかけて手のかかる料理を作り、それ以外の日は市販のおかずやカロリーメイトを食べて暮らす。
相手にとって魅力的であり続けることために、お金をアクセサリーやエステに使える。
愛人という意味や存在を知るもう随分前から、勉強や友達づくりをろくにせず、親や先生に注意されても聞き流してぼんやり生き続けてきたのは、自分の将来をそのポジションに漠然と当てはめていたからだろう。
しかしある時重大なことに気がついてしまった。
どんなにぼーっと浮世ばなれしていたって寄る年波には逆らえないということに。
当然しわができて肌のハリがなくなって、愛人を囲える男なんてお金持ちにきまっているからお金の力でぴちぴちと若鮎のような女を作り自分は使い古した煮干のように捨てられて生活能力のないまま路頭にまよって冬の路地裏で挙句の果てには・・・と暗い未来予想は尽きることない。
回りの女子が青春を謳歌している時に私はそんな心配ばかりで、まだ好きな人がいるわけでも捨てられたわけでもないのに、毎日悲しかった。かぐや姫は月を見て泣いたが、私は朝日を見ても夕焼けに伸びる飛行機雲を見ても、汚いぞうきんを見ても、前の席の子の首すじにあるほくろを見ても、いつも泣きそうだった。
そんな時、ふと思い出したのだ。
ひいおばあちゃんが昔話してくれた伝説を。
「人魚、顔はきれいな女の人で下半身が魚の生き物のことだよ。その肉をた
べたら、不老不死になれるのよ。。」
蒸暑い夏の夜の布団の上。寝物語には向かないそんな話をしてくれたおばあちゃんの目だけが、暗い中でらんらんと光って見えた。
いつも糸のように目を細くして笑った顔のおばあちゃんの目はどこへいったのだろう。
その夜人魚は夢に出てこなかったけれど、異様に紅い唇をしたおばあちゃんが出てきた。おばあちゃん、口紅つけてるの?ときくと笑って、ちがうよ、今氷イチゴを食べたからだよ。と笑う夢だった。