うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

wonderland

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 近くの沼にでかい亀がいるらしい、という噂をききつけ、
 日曜の朝っぱらから寒さを我慢して見にきてしまった私。
 爬虫類好きでもないくせにまったく何をしてるのかしら私、と毒づいたその時、
 目の前がひらけて問題の沼が現れた。 
 

 うすい陽がさしているにも関わらず、そこだけがどろんと黒い。
 話では人ふたりくらい乗れそうな巨大な亀!の姿はなく、淵にぽつんと、箱型のものが立っていた。
 
 「亀の鳴き声がきけるでんわ」
 とあり、コインを入れる穴までご丁寧につけてある。
 自然現象を利用してまたせこい奴がもうけに走ってるな、
 と思いつつもこのまま帰るわけにはいかず、100円玉を入れると、動かない。
 これで動かなきゃぶっこわす、との思いでにくにくしげにもう一枚入れると、ポーンという機会音がしたので受話器をとった。
 
 みしゅーん、と鳴き声ともつかぬ音が響く。
 いかにも巨大亀の鳴き声のようにはしたててあるが・・・こんなもんうそっぱちじゃねえか!といい加減壊そうと思っていると、
 
 なんとそれは人間の言葉になった。


 「ようこそお嬢さん。せっかく来たのだからいいことを教えてあげよう。  
  
 みしゅーん、の時とはちがって、しわがれているが以外に明瞭な声に、おもわず聞き返す。
 「いいこと?」
 
 「そう。亀が万年生きる方法を。」
 
 特に不老不死への憧れも長生きの目標もないが、
 亀が万年生きる、というのがほんとうに本当なのか、それともただの迷信なのか気になったことは確かだ。仕方がないから黙って聞く。
 
 「たとえば私が死んだとする。
 けれども沼の底にしずんでしまった私の死骸に気がつくものはいない。
 腐ったり水中の生物たちに食べられたりして、体はやがて消える。
 
 しかし、この私が死んだ、という事実が皆に知れ渡らないかぎり、私は千年も万年も生き続けるのだ。」
 
 
 「それは、生きたことにはならないのでは?」
 
 「いいや、違う、よく、思い出して御覧。さくらピアノ教室。」
 彼、いや、亀の口から、幼少のころ習っていたピアノ教室の名が出たのでびっくりした。
 
 そして、先生の母親が小さいときから飼っていた、というその亀がある夏ミイラ化しているのが発見されたことを思い出した。
 たしかにあの亀は、もうずっとずっと前からミイラだったかもしれない。
 
 
 さらに次に、小学校の頃飼っていた柴犬が、 
 家族ではじめてのイタリア旅行の間に死んでしまったことを思い出した。年はとってはいたが元気だったので、祖母の家に預けて発ったのだった。
 帰ってきて猛烈に後悔した。

 
 8日間の旅行の、だいたい3日目ぐらいになくなっていたらしい。

 と、いうことは、死んだという事実を知らなかった5日間、
 柴犬は生きて、走って、
 ワム、と吠えていたのである。離れている最中、頻繁に思い出してはいなかったにしろ、
 日本の家で柴犬が私たちを待っている光景は、
 
 死亡が判明するまでは偽物でも嘘でもなく、

 
 たとえば死んだのではなく逃げた、として、
 
 いまだに行方しれずになっているのだとしたら、
 柴犬はまだ生きていて、
 そうして柴犬が生きている、と信じている私は、
 たとえばこんな寒い晴れた朝の公園で、柴犬と再会できるかもしれないのだ。



 (おわり)