うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

ブラックスワン

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 電信柱の陰からそのひげのおじさんが現れた時私の頭にうかんだのは、
 
 知らない人についていかない。
 という教室に貼ってある標語よりも何より、「ちびまる子ちゃん」のアニメの主題歌の詩だった。
 
 アニメーションの中ではかなりひょうきんそうなビジュアルで描かれていたが、実際に
 「ちょっと君」と下校中の私を呼びかけたその人も、
 変わった身なりをしている。
 
 青い背の高い帽子と、エメラルドグリーンの背広。
 
 吹きながら歩いていたリコーダーを口から離す間もなく息が洩れたので、
 ひょりい、というような気の抜けたミの音が出た。

 
 「そのまま吹きつづけておくれ。きれいな音色にさそわれてやってきた僕のために。」
 
 とてもいい声なばかりでなく、まるで歌の調子だ。けれどもどこかで聞いたことのあるような。

 誘われるように私もついつい演奏を始めた。習ったばかりの、古いフランスの歌。
 
 彼はまつ毛の長い目を黒々としばたたかせて体をぐねぐねと動かし、いかにもうっとりしている様子。

 思いつくままにいくつか吹き終えたところで、知っている曲がなくなってしまい、手を止めた。
 
 閉じていた目をかっと見開いた彼は、いかに演奏がすばらしかったかを分析し称賛し、「よかったらここへ連絡を。」と、一枚のビラを渡して風のごとく去ってしまった。


 
 赤と緑で構成された紙に、「今夜サーカスが来る」とだけ記してあり、
 電話番号もURLも何も表示されていない。
 連絡も何も、今夜行くしかないじゃないの、とぶつぶつつぶやきながら、
 それでもこれが噂の芸能スカウトかしらと悪い気はしなかったので、
 どうにかこうにか親の目を盗んで夜に抜け出した。



 長いこと雨が降っていないせいで、空気が乾燥していて、冷え込みもひどい。
 いつもは被らない毛糸の帽子で頭をくるんで、寒さとうしろめたさを少し軽減する。


 恐れていた追手(父母のこと)も、知っている人に会う、という危機も訪れぬまま、いやにあっさりと、カラフルなテントの前に着いてしまった。
 
 月明かりが黄色くてらしている入り口をおそるおそるくぐると、まだ準備中のようだ。
 すごく痩せたひとや、思い切り太った人、おそろしげなメイクを施した老若男女が一様に極彩色の衣装を身につけて、何かしら芸の練習をしている。
  
 その中に見知った顔を見つけ、驚いた。
 一輪車を逆立ちしながら操っている少女はまぎれもなく、隣のクラスの梅田さんだ。
 梅田さんは女子の誰もが認める一輪車の第一人者。というか名人、で、
 アイドリングに空中乗り、バックはもちろんなこと、さまざまな高度な技術でグラウンドを舞う。
 
 でもまさか、サーカスの一員だったとは。
 
 心臓の鼓動が収まる間もなく、次は昇り棒では誰にも負けない同じクラスの大田くんを見つけた。
 大田くんはなんと、真っ赤な猿の衣装に長いしっぽまでつけて、校舎の三階ほどの高さがありそうなパイプを昇り降りしていた。落ちたらひとたまりもないだろう。
 
 他にも、歌の上手な遠藤さんや、走りがべらぼうに早い小林くんなど、同じ学校の子たちを次々みつけ、さらに彼らの顔が昼間の何倍もいきいきと輝いて見えることに、二重で驚かされてしまった。


 とん、と肩に手が置かれ、振り向くと、昼間のおじさんが立っている。
 
 長いものが差し出され、受け取ると、金色で、穴がもっとたくさん開いてはいるがリコーダーだった。
 
 君はこれでわがサーカス団楽隊のマドンナとなってくれたまえ、
 
 やはり、その日はじめて聞いた声ではなかったようだ。
 朝礼で何度も、「お話」を聞いた気がする。
 朝礼台の上からマイクを通してくぐもったように聞こえるのとは全然違ったせいで、わからなかったのだろう。
 何時に開演かはしらないが、それまでにこの笛を吹きこなせるようになるだろうか。
 
 いや、大丈夫。伊達に音楽の授業だけまじめに聞いていたわけではない。 

 
 トゥトゥトゥ、を意識しつつ息を入れると、音符が星の色をして降ってくる映像が見えた。



                           

                                    おわり