皆既月食
歩きながら見上げると、
黒いものに三分の二以上隠された月が見えた。
雲、というにはくっきりとし過ぎているが、想像していた弓型の影ではない。
もう始まっているのか、それとも曇っているだけなのかしら
と、周りをみわたせば、路上の人々が立ち止まって空を見上げていたので、どうやら
あれが噂の皆既月食らしい。
普段、特に注意して見ることの無い空を、たくさんの人が、同じ時間に見つめているのは
電気屋さんのテレビを、町内の人がこぞって視聴しに来ていた古き良き時代を思わせる。
その時代は生まれていなかったけれど。
向かいから長い髪をなびかせてやってくる細身の女が、妖しく見えます。
店先へ出て来た、背筋のしゃんとした女将さんが、
手打ちそば の、のれんを仕舞おう途中で斜め上に視線を投げる様が、槍を持った神話の女神に
見えなくもない。月から吹く風が、紺ののれんをはためかせている。
月食があるという知らせが、街を、現象そのものよりも非現実的にしている夜でした。