映画館とへび
ある朝目覚めると、布団と自分が一体化していた。
10年くらい前に買った安物のやつだ。どうせなら羽毛布団がよかった。
もちろん動けないししゃべれない。
ひとりぐらしなので誰にもきづかれない。
手をのばせば届く距離に携帯電話が転がっているのだが、手がないので勿論とれない。
ああ、返していないメールが一件あったなあ。べつにこれといって心はずむような内容でないけど、返しておけばよかったなあ。
しかしどうして休みの日にこうなったのか。どうせなら会社の日なら、なんの罪悪感もなく堂々と休めたのに。
無断欠勤をいぶかしがって、同僚のN子が心配して電話をかけてきて、もしかしたら家まで尋ねてきてくれたかもしれないのに・・・。
けれども自分は布団なので、
N子を抱きしめるはおろかお茶をだすことすらできないだろう。
いやまてよ、しきっぱなしの布団を見たN子がつい眠気をもよおしてここに横たわったら・・
わたしは江戸川乱歩の人間椅子のような悪趣味な喜びを覚える。
が、玄関の鍵どころかチェーンまでしまっていることに気がつき、盗られるものも置いていないくせに無駄に用心深い性格をのろった。
にしても、布団とはかぶったりくるまれたりするのは気持ちが良いが、自らなるのはあまりいただけない。
なんだか頭と体がひとつづきになったようでぼんやりし、それなのにボワっとした弱い電気が表面をつねにただよっていて、
なんとも落ち着かないのである。
動こうと力を入れても、といいたいところだが力自体が入らない。
たしかに布団なのだから、力が入っていては巻かれるほうもおちおち寝ておられんだろう。
自分は学生アルバイトでの居酒屋を思い出した。
サーバーのレバーを前に倒して生ビールを注ぎながらいつも、あー飲みたいと思っていた。
今まさに生まれでたばかりのように黄金色に輝く液体。これは飲ませるもんんじゃなく飲むもんだよな、と幾度となく思いながら1年半つづけた。
これは夢だろうか、としごくもっともなことをようやく考えついた。
けれどもほっぺをつねれない。
夢ならはやくさめてしまいたいか、いやそうだろうか。
月曜や、飲み過ぎたつぎの日、はたまた何もかもうまくいってない時に何度もゆめに描いたではないか。
自分が布団になって眠りつづけることを。
それは仕事終わりに飲むビールよりも非現実的なぶん強くわたしを魅了したはずだ。
何もできない、というのは、しなくてはならないあらゆることから解放されるという意味である。
諦めはいつしか安楽に代わり、私は眠りながら眠りを楽しむという誰もができない快楽をてにいれたのではなかろうか・・・しかし、なにをかぶって眠ればよいのかな?まあ寒いことはないんだけど・・・と、
うとうとまどろんでいるうちに眠りは布団の上にも平等におとずれたようだ。
目を覚ますと、もとにもどっていた。
なあんだ、夢だったのか。
おわり