ビールを飲むと、世界がもうすぐ終わるような気がする。
時間が変になって、起きている全ての物事が美しい曲のクライマックスのように、いつか途絶える気配を孕んで流れる。
きっとこんな時間帯の空の上で、こんな風な雲の色の中にいると、明確にそんな風に思われるのだ。
昔よんだ小説が、飛行機の上でビールを飲むシーンから始まったっけ。
びっくりするくらいの数が売れて、映画化もされていて、でも僕は好きではなかったのだけれど、
ふとした瞬間に、例えば今みたいに、
その小説のシーンのひとつやせりふなんかが頭に浮かぶ。
自分が味わっている感情と似ているものを主人公が感じている場面があり、
一種の既視感にとらわれたり、
同じような状況に居合わせたのに、主人公が180度ちがう見方をしていることを訝しげに思い直したり。
それが名作とうたわれる所以なのかいなと、すこしだけ心も体も大きくなった今、
も一度読みなおそうと考えながら実行に移せていない。
降ってわいたように訪れた有給を利用してのひとり旅からの帰り、
綺麗なフライトアテンダントに
「ビール」
と告げ、ふたまで開けてもらったりしながら天上で酔いに身を任せていると、
胸がビールの泡の黄金の液体と、切なさと楽しさで溢れだしそうになる。
体験したばかりの異文化の経験はまださわると温かい程に新しいはずなのに、
なぜか心を締め付けるのは、
道や店先で出会うアメジストの瞳を持った民族衣装の美女ではなく、
しつこくつきまとってきて最後には仲良くなってしまった物乞いの少年ではなく、
狼のように鋭く痩せた野犬でもなく、
実際はとてつもなく濁っているのに、夕陽の光をとかして美しくきらめいていた遥かな川の流れでもない。
ただ、今自分の見ている窓の外の風景と、機内の人々の姿。
乗ることができそうな程硬質なブルーグレーの雲や、斜め前で着々と機内食を食べ勧める小さな老人。その後ろの席、廊下を挟んだ左隣のふくよかな女性が、隣のシートで眠そうな幼子を撫でる手つきのやさしさ。
たかだか350mlのアルコール7パーの飲み物に、
一体何をこんなにセンチメンタルなメランコリーにとらわれているのだろうか。
ギターでもあれば弾いてしまいそうだ。
または、もし誰かがフォークギターを取り出して低く歌い始めたりすれば、確実に泣いてしまうであろう。
宵にさしかかる時間だというのに
雲の上はまだ明るく、
離陸のときに味わった異次元へのトリップ感が嘘のように、しっかりと羽を広げて飛んでいる。
時折揺れてはバランスを取りなおす機体の動きに、ここが世界の果てではないことを教えられる。
小さい頃、飛行機は落ちるものだと信じていた僕は、
誰か近しいひとが海外へ行くたびに、もう会えなくなることを空想して涙を溜めていた。
飲み終えたコップと缶を持っていかれて、
すこしだけ現実に引き戻されてしまった。
帰ったらまず何をしようか。部屋の掃除に、たまっているメールの返信。
そうだ、しばらく電話すらしていなかったあの人に、土産話でもきかせてやろうか。
(終)
画像の瓶は、なんだかデッサンが狂っています。
とにもかくにも、機内で飲んだビールが美味しかったのでした。