うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

落書き(青)

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 なんとなく最近ひかれてしまう幾何学模様のブラウスを、その春の日も着ていたら、
 ふと、ブラウスから糸が出ていることに気がついた。
 
 ついいましがたまで、縦横に規則ただしくあわさっていたのに、独立して、衣服であることをやめてしまった糸はふてくされるように、てろん、と伸びている。
 目をこらすとわかる青や緑に、アラビアーンな模様を作っていた頃の名残が見える。

 少し前に買ったばかりなのに。ちょっといらいら。
 ひき切ろうと、強くひっぱったのがいけなかった。
 ピー、と音さえさせてほころびは広がり、その上裂け目から一匹の蜘蛛が顔を出したのだ。
 
 それも、パニック映画とか、アマゾンの生き物図鑑とかでしかお目にかかったことのないような立派な、しましまの胴体をした蜘蛛だ。
 悲鳴こそあげなかったが、「ひ」という音とともに息をのんだ。一瞬金縛りにあった心臓が途端にすごい速さで動き出す。

 
 どうしようどうしよう、ていうかなんで服の中から?いったいいつからいたの?
 
 触れたくないので手で振り払うこともできないし、まさかだからといって、アスファルトにダイブして地面になすりつけたのでは蜘蛛の体液で服が汚れてしまうかもしれない。



 
 そうこうするうちに蜘蛛が言葉をしゃべりだしたときったらもう、「ひ」という声すら上げられなかった。「蜘蛛ラングイッジですよ」とうそぶいても納得されてしまうくらいの意味不明な聞き取り不可能な叫びが、かわりに出てきた。
 
 「そんなに怖がらないで。」
 毛のいっぱい映えた顔の真ん中に着いているぐるぐるのビー玉みたいな目が私をまっすぐ見つめながら言う。
 最近妄想をよくしてしまうなあ、とは思っていたが、ついにおかしくなったのだろうか自分。

 そんな心配に押し包まれつつも、売り言葉に買いことば。「怖がらないでったって無理な話でしょ。あんたいったいなんなのさ」
 と、答えてしまった。


 虫に表情があるなんて初めてきくけれども、
 悲しげ、としか形容できないなんともいえぬ雰囲気が、蜘蛛全体から漂う。
 
 「そうだね、こんなに立場がちがってしまっては、君はもう僕のことなど微塵も思いだせないだろう。」
 なんだなんだ。蜘蛛は続ける。
 「僕がずっと昔もこの姿でこの生き物だったとき、君が蝶ちょだった頃があったのだ。」
 なぜかすんなりと、前世のことを言っているのだとわかった。
 「そうして、僕は今よりずっ獰猛で狡猾で、ちょうどきょうみたいなのどかに晴れた美しい日に、
 花と花の合間を縫って、巣を張っていた。」
 
 頭の中のどこかわからない部分で、ある映像が再現され始めた。
 太陽の光でちらちら光って、ちょうどそこは銀色の・・・・銀色の。
 「泉のようだった。」
 
 私はおどろいて、蜘蛛の目を見た。
 そうだ、たしかに私は彼のいう光景を知っていて、昔、この目の光を見たことがある。


 きらきらする泉に魅せられたあさはかな蝶だった私は、無防備まるだしで飛んでいき、
 まんまと罠にかかった。
 さなぎから羽化して間もなく、初恋もしらないような時分。
 けれどもからみつく細く強靭な糸をたぐりよせると、死がやってくる予感が本能で感じられて、
 
 しかし、太陽を吸ってあたたかい粘着質の糸に巻きつけられるのはどこか甘美な絶望だった。




 けれども僕は、君を食べることができなかったんだ。
 
 彼は身の切れるような切ない声で言った。
 君が、美しすぎたから。
 
 ズキューン。
 なんて気障なんだ。まるでロックンロール・いや、ヘビーメタル
 でもやっとわかった。
 幾何学模様を見てどきどきした理由も、スパイダーマンで異常なぐらい泣けてしまったわけも。
 
 蜘蛛いわく、美しすぎて食べるのがもったいないから放してやろうか、それともダメもとで交際を申し込もうかとあれこれ思い悩んでいるうちに、
 そのへんのフーリガン(シジュウカラ)にぱくっと喰われてしまっていたらしい。


 それから二度と巣を張らなかった。だから間もなく、僕も餓死してしまったんだ。
 生まれ変わったら必ずまた君に会いに行こう誓いながら。
 
 もともと目の大きくて手足の長い、ちょっと毛深いめの男性がタイプだった私はもう、種族のちがいなど気にならないくらいに、彼の外見をたまらなくキュートだと感じ始めていた。
 旅人をひきずりこもうとする銀色の泉の淵に、またもやふらふらと近づいてしまっていたのだった。





 と、いうわけで、私と彼は付き合いはじめた。
 時々けんかをするけれど、
 やはり相手は狡猾で一枚上手だ。
 「そもそも君はさあ」
 なんて気に入らない部分をだめだししてくる時間帯がいつも朝なのである。
 末っ子特有のわがまま、とか、ゆとり教育世代、とか、かちんとするフレーズを並べたてられて思わず叩きつけてやりたくなるのだけれども、
 朝蜘蛛は殺しちゃいけない、という迷信がストップをかける。
   

 くそー、昼間とか夕方とかだったら、ぜったいにころして新聞紙につつんでトイレに流すのに!!!
 と、地団駄を踏んでいると幼馴染のちーちゃんから、
 ほらやっぱり八本足なんかと付き合うから。
 とか言われるのだが、
 ちーちゃんだって彼氏とけんかした時の決めぜりふに、
 「あんたが旦那になったら絶対みそしるに毒入れるから!!!」
 
 というのを持っている。
  
 もうすぐ付き合って一年。
 あれこれ踏まえたら、そこらのカップルとなんら変わりなく平和にやっていけてると言っていいだろう。
 きょうも、服のほころびの隙間を覗くと、私を見つめる彼の目に、少し笑った私が映る。




 (完)