そういえば最近ぜんぜん来てもらって無いなあ。ピアノの調律。
きゅうに思い出したのは、コンビニで買ったピノを食べたせいでなく、甘さと冷たさの口どけを感じながら歩く途中、蝉たちの声が耳触りに感じられたせいだった。
いつもはうるさいながらに一定の距離と間をもってきこえてくる合唱が、
夕方あったスコールみたいな雨のせいか、
調子っぱずれだ。結成したての、高校生のバンドみたいだ。
思い立ったが吉日。♡型の幸せピノの有無を確かめるのも忘れて残りを口に放り込んでしまうと、
駆けるように帰宅して、調律師に電話をかける。
すぐさまきてください、と言うと、お盆で暇なせいか
本当にすぐさま玄関ベルが鳴った。
「こんにちは~おせわになります。」
物腰のやわらかいのを通り越してなよなよした仕草で、いつもの彼はやってきた。
鍵盤に軽く指をはしらせたり、蓋を開けてみたり、その間隣室で私がうとうとしたりすること
数十分。
「おわりました~。不協和音ぎみでしたが、すっかり直っているはずです。」
おかめみたいな顔で出てきた彼に代金を支払って返した後、試しに唯一暗譜でひける「タランテラ」
を弾いてみると、
なんだこれ、どこも直ってないじゃないか。
ファとミとソとドを押した際に雑音は入るし、旋律はたらんてらん、とそれこそ蜘蛛の毒に犯されているような不安定さである。
フォルテッシモに託した後でもなおも残る怒りに震えながら、
調律師に電話をかけるとあら不思議。この電話は現在つかわれておりません。
どういうことだ、ついさっき確かにつながったのに。
と音記号のように首かしげていると、ただいまー、という妻の声がした。
買い物袋をさげている。また冷蔵庫のストックを増やす気か、とうんざりしていると、
はい、これあなたによ、
と、
差し出されたのはステテコだった。
今話題の、超クールステテコである。
なぜ欲しがっているのを知っているのだろう。最近まともに会話すらしていないのに。
自然、なにかお返しをしなくちゃという気持ちが、
「おい、きょうはどこかにたべにゆこうか。」
という誘いを口走らせていた。一年近く、私たちは共に外食していない。
妻の顔にも、私に先ほど浮かんだはずである当惑が浮かんだが、それは微笑にかわって彼女を肯かせた。
不協和音気味でしたが、調律師のことばを僕は思い出した。
夏の午後の雨の後。たまに不思議なことがおこる。
アスファルトに残る水たまりに夕日が投げかける光が、プリズムを成している。
水たまりと共に蒸発するかもしれないこの時間を、私たちはただ大切にすごさなければならない。