~前回までのあらすじ~
「僕」がいきつけのバーで知り合ったのは、一度たりともまばたきをしない女。
彼女は語る。
学生時代に砂漠へ行った時の事。満天の星空の下、流れ星をただただ待ちながら、襲ってくる睡魔と闘いながら。いつしか強く願っていたのだ。「どうか、流れ星に願い事ができるまで、私を眠らせないでください。」
落ちてくるな、落ちてくるな。
鉛みたいに重く垂れさがってくる両の瞼に、心の中でそう唱えたの。
もう、おわかりかしらね。まばたきをしなくなった理由が。
そう、あのときしていたことは、お金を使うためではなくて、お金を稼ぐためにあくせく働いている大手会社の社長、のようなものだったわ。
目の前を・・・目の前ではなくて何億光年も離れてるのだけど、そのときはすごく間近に見えた流れ星が通り過ぎた時、もう願いはかなってしまっていた。
イトゥラーン・イシュハラザイム。
そのことに気がついたのは、日本に帰ってからだったわ。
付き合っていた彼氏とさっそく食事に行って土産話をきかせている途中、どうも様子がおかしいの。
ジュード・ロウに似ているはずが、あるときはアリクイに見えたり、またあるときは30歳も老けちゃったように映るの。
疲れているせいだということにしたけれど、それ以後会うごとにどんどん魅力が失われてしまって、みるみる気持ちが醒めてしまった。
他にも、すごく美人の幼馴染のあごが長かったり、教授のそり残しがものすごく不潔だったり。
あまりにも行く前と見え方が変わっているから、目がおかしくなったのかと、目医者に行ったの。
「目を閉じてみて。」
専用の機械を覗く私にお医者さんが投げかける要望に答えることができなくて、ようやく閃いた。
『三つの願い』という童話をご存じかしらね。
貧しい夫婦のもとに、好きな願いを三つかなえてくれる、と言って仙女が現れる。
何にしようかと浮かれながら、その晩ふと、目の前の鍋で煮える野菜スープを見てつぶやく。
ここに腸詰が入れば最高の味なんだけど。
途端に光がきらめいて、気がつけば腸詰がぐつぐつ煮られているのね。一つ目の魔法はなんと、何気なく望んだ、単なるスープの具材につかわれてしまったのよ。
とにかく、本来の目的と違うというどころか、かなった願いがもたらしたのは最悪の事態だったわ。
まばたきをしないということは、他の人の倍、いろいろな瞬間が見えてしまうのよ。
見たくもないもの、世界のあらゆる部分を。
そうすると何もかもやる気がなくなってしまった。どうしたって、自分をとりまくものがあまりにもきれいでないのですもの。
※ ※ ※
そこまでしゃべると女はふー、と大きくためいきをつき、疲れた、とつぶやいた。
疑う気持ちは完全に消え失せていた。
世界をとらえて放さない、開き続けた目を、まのあたりにしてしまったのだから。
なんと言葉をかけてよいのかわからず、力なく置かれた白い手を握ったその中で、ぐにゃり、と変な感触が起こった。あっと声を挙げる間もなく全身がしゅるしゅると透明な液状化し、そのままシュポン、と、タンブラーに収まってしまった。
何がいったい、起こったのだろう。
救いを求めるようにマスターを見つめても、彼は平然とグラスを磨いている。
きゅきゅっという音を聞いていると、何も起こっていないような気がしてきた。
やりばのない視線を窓の外にやれば、雨は降り続いて、しかも止む気配がない。
仕方なく、緋色に澄んだ液体となった彼女の体をタンブラーごと引き寄せ、口をつけた。
苦みと酸味が喉を通りぬける感覚を味わいながら、今夜は酔えそうにない、と思った。