うみつづき、陸つづき -押海裕美ブログ-

思いついたことが、消えないように絵や文にしました。

WHISKY BONBON

イメージ 1

 むかしむかしあるところに、ヨーヒョという貧しい若者がおりました。
 気のいい頑張り屋さんでしたが、働けど働けど、暮らしは楽になりません。
 
 ある雪の降る朝、路地裏のカフェの夜勤を終えて薄い外套の肩を抱きながら家路を歩いておりますと、一話の鶴がおりました。
 どうやら街の悪ガキどもが仕掛けた罠にかかって動けないようです。
 「かわいそうに、今はずしてやろう。」
 怪我をした足をハンカチで手当してやると、鶴はコオー、と一声鳴いて、白く美しい羽根を広げて飛び立ってゆきました。
 灰色の空から、雪がはらはらと降り始めていました。


 それからいく日かした雪の日のことです。
 質素な夕食をとっていた彼の部屋のドアを、コンコンとノックする音がします。
 開けると立っていたのは、見覚えのない、しかし一瞬声を失ったほどに美しい、若い女でした。
 「この街に着いたばかりで、行くところがありません。どうか一晩だけ、泊めてくださらないでしょうか。」
 よほど長い間さまよっていたのか、雪のかぶった小さな肩を震わせる姿を目にするととても断ることができず、部屋へと招き入れました。
 近くで見る彼女はいっそう美しく、拾いもののソファと小さなベッドがあるばかりの殺風景な部屋には不似合いで、間違って荒野に咲いてしまった高貴な花のよう。
 その日は、ソファで寝ると言ってきかない彼女にベッドと毛布を貸してやり、ヨーヒョは持っているだけのセーターやコートやらを巻きつけて眠りました。



 次の日のことです。
 まだ日の昇らぬうちから、ことこと、と鍋を煮る音で目を覚ますと、狭い部屋中になんともいえぬ甘美な匂いが漂っていました。
 しばらくして起きてみると、おとぎ話の王子でも昔はとてもたべられないような素晴らしいチョコレートが溢れかえっているではありませんか。ウイスキーボンボンに石畳チョコ、繊細な細工を施したものまでさまざま、一体どこで材料を仕入れたのでしょう。
 しかし、いつの間にかコック帽にスカーフといういでたちの女に勧められるまま口にしたが最後、彼は天に昇ってきらめく星ぼしの上を散歩して、スイートピーのお花畑の坂道をごろごろ転がりながら世界でいちばん柔らかい羽毛布団にダイブする、という夢の中に居ました。

 それはもう、今まで食べていたものが全部消しゴムだったのでは、というくらいに甘美な味だったのです。


 「私の名前はテュウ。ショコラティエを目指して修行の旅をしています。泊めてくれたお礼にチョコレートを作るので、あなたは街でこれを売ってお金にしてください。」

 いわれたとおりに、弁当屋のように売り歩いていると、この世のものとは思えぬほどおいしく美しいチョコたちはものの三十分で売り切れました。
 たまに我慢しきれなくなって何粒か食べたりもしました。
 
 家に帰るとまた第二陣ができており、一体どんな早業で作っているんだと気にはなったものの、最中は部屋に入ることができません。なぜならテュウが言ったからです。

 「私がチョコを作っている最中は、けっして、キッチンを覗かないでください。」

 1DKの、アパートの一室では、この約束を守ろうとすると、必然的に彼は外で待つことになるのでした。




 テュウの作るチョコレートは街中で評判になり、すっかり同居を始めた二人の生活はどんどん潤ってゆきました。
 夜は部屋で一緒に飲んで騒いだりしてすっかり打ち解け、将来は結婚の約束をするほどまでになったのです。
 しかし、どんなに頼み込んでも、調理の最中は絶対に見せようとはしません。
 二人の間に隠しごとがあるなんて・・・。
 好きの気持ちが高じてとうとうある日、のぞいてしまったのです。


 
 彼は凍りついたように動けなくなってしましました。
 目に映ったのは先日助けた一羽の白い鶴・・・・
 ではなく、
 空き巣に入られた後に、サーカス中の動物たちが暴走した末、どこかの国であるトマト祭り(トマトを投げ合う)みたいな系の行事が催された揚句、床下浸水が起こったみたいに、どろどろでぐっちゃぐちゃのキッチンの有様でした。
 真ん中で忙しく動き回るテュウは、小麦粉とチョコレートにまみれてピエロみたいな姿です。 
 使ったら使いっぱなしにしてあるので、卵の殻やボウルとかが溢れかえって、チョコの付着した鍋がいくつも雑然と投げ捨てられているのです。


 ヨーヒョの存在に気がついたテュウは、はっと足を止め、やがてすべてを悟った悲しい顔で言いました。
 「とうとう見てしまったのですね。
 そう、私は片づけられない女なのです。その都度整理しながら作ったほうがいいとわかってはいるものの、ついつい、こんな風にしてから、後でまとめて洗うのです。
 だから作っている最中のあまりに汚い状態を、お見せしたくなかったのです。」
 知られてしまったからにはここにはいられません、と言うが早いが、彼女は疾風のように洗い物をして食器類を収納したのち、つむじ風を巻き上げながら去ってしましました。

 
 出会った日と同じ、しんから冷えるような晩のことです。
 我に返って追いかけようと部屋を飛び出しましたが、降りしきる雪が街を一寸先までも見えなくさせていて、あとには見事なチョコレートと、今は苦さの方が強く感じられる芳香が、狭い部屋中にいつまでも残っておりましたとさ。
 







 現代版:鶴の恩返し  完